2014年11月23日

11月30日の生物学史研究会「進化の総合説再考」と関連文献など

今月30日に、東京大学駒場キャンパスにて生物学史研究会「進化の総合説再考」が開催されます。
http://www.ns.kogakuin.ac.jp/~ft12153/hisbio/meeting_j.htm
この研究会では、来日されるフロリダ大学の科学史家V. B. Smocovitis教授をお招きし講演していただくことになっています。また、その前座として拙いながら自分も研究発表をさせていただけることになりました。もしご参加いただける場合は、以下の登録フォームからご登録いただけると大変助かります。
https://docs.google.com/forms/d/1vkvLLh5xjPPmioLzSfiH5oBbLbVyfy6AktmHVlSA664/viewform?c=0&w=1

Smocovitis教授は進化論史、特に総合説の形成についての歴史研究を専門とされてきました。特に、進化の総合説について画期的なヒストリオグラフィーを提示された著書Unifying Biology(*1)が有名です。このヒストリオグラフィーでは進化論の総合は、「生物学の統合」、すなわち各々のディシプリンがバラバラに存在していた生物諸科学を統一して物理学に匹敵する学問にすることを目指したの動きのなかに位置づけられます。日本語では瀬戸口先生によるUnifying Biologyの紹介(*2)があり、この本の主要な論点が明確に整理されています。

Smocovitis教授は、総合説の形成に大きく貢献した植物学者G. Ledyard Stebbinsをテーマに博士論文を執筆されるなど、進化論の総合と植物学の関係を特に詳細に調査されてきました。植物学における総合説形成の概略については、去年出版されたThe Cambridge Encyclopedia of Darwin and Evolutionary Thoughtに掲載された記事(*3)でもよくまとめられています。

また日本に関係して、米国の日系人遺伝学者Masuo Kodaniに注目し、戦時下に強制収容された日系人科学者たちが続けていた科学研究について調査された論文(*4)を発表されています。米国が広島に設置した原爆傷害調査委員会(ABCC)に参加したKodaniの活動についても研究されており、The Black Pearl: Masuo Kodani, Genetics in America, and the Japanese American Experienceと題した本を出版される予定のようです。来年1月にもこのテーマに関係する講演をされるようです。
http://www.uh.edu/ethicsinscience/Seminars/Vassiliki-Smocovitis.php

Smocovitis教授は論文の多くをご自身のウェブサイトにPDFで掲載されていますので、それらは以下のアドレスから見ることができます。
http://people.biology.ufl.edu/bsmocovi/Bettys_Website/Welcome.html

(*1)Smocovitis, Vassiliki Betty. Unifying Biology: The Evolutionary Synthesis and Evolutionary Biology. Princeton: Princeton University Press, 1996.
(*2)瀬戸口明久「生物学を統合する――進化の総合説をめぐる新しいヒストリオグラフィー」『生物学史研究』74(2005年)、97–100頁。
(*3)Smocovitis, Vassiliki Betty. “Botany and the Evolutionary Synthesis.” In The Cambridge Encyclopedia of Darwin and Evolutionary Thought, pp. 313–321. Edited by Michael Ruse. Cambridge: Cambridge University Press, 2013.
(*4)Smocovitis, Vassiliki Betty. “Genetics Behind Barbed Wire: Masuo Kodani, Émigré Geneticists, and Wartime Genetics Research at Manzanar Relocation Center, 1942-1945,” Genetics 187 (2011): 357–366.

2014年11月1日

ヒュー・ミラーにおける科学と詩 O’Connor, The Earth on Show, 第10章(前半)

Ralph O’Connor, The Earth on Show: Fossils and the Poetics of Popular Science, 1802-1856 (Chicago: University of Chicago Press, 2007), pp. 391-411.


第10章「ヒュー・ミラーと地質学ジオラマ」(前半)

 ヒュー・ミラーとはいかなる人物か。ミラーは若い頃に様々な職業を経験しており、学校を退学したあと、石工、会計士を経て、スコットランド自由教会と関連していた新聞Witnessの編集者となった。彼は近現代史、民間伝承、古物研究、地質学など過去のことに興味を持っていたが、最大の野望は文学にあった。彼が1829年に出版した詩集はあまり反響を呼ばなかったが、ノンフィクションの分野(歴史、自叙伝、レポタージュ、地誌、宗教・政治に関わる論争、科学的読み物など)で才能を示した。現代では、ノンフィクションを文学とみなさない傾向もあって彼の名は忘れられがちだが、ミラーは当時の英国を代表する文人であった。
 ミラーにとって、風景を人々の目の前に再現するのは文人の務めであった。この目的を果たすため、ミラーはしばしば、「われわれ(ミラーと読者)」がそこに居るかのような、想像上のガイドツアーを描いた。彼の文章は、マンテルやバックランド、ライエルはおろか、同時代の有名作家たちをも凌ぐほど文学的にレベルの高いものであり、中流階級の読書家たちを魅了していた。彼は科学や真実を詩のかたちで表現することに心血を注いでおり、またそのようなアプローチに自覚的であったために、ポピュラーサイエンスの中心的な仕事を成し遂げることができた。


1. 世界の古物の研究家たち

 ミラーの地質学に関する文章で最初のものは、『北スコットランドの景色と伝説』(1835)の第4章であった。この章ではまず、読者はミラーの隣に立って、現在のクロマーティ湾の穏やかな風景を共に観察することになる。ミラーはわれわれに対し、「世界の古物の研究家(antiquaries of the world)」として調査をしようと呼びかける。このような記述によって、ミラーは地質学の崇高さを強調していたのである。
 このあとのミラーの記述は、ディプティク(二つ折りの形になっている絵の形式)のようになっている。クロマーティ湾の同じ場所から見えた光景として、数年前の冬にミラーが目にした寒々しい光景と、太古の時代に熱帯性気候のもとで様々な生物が栄えていた光景が対比されているのである。さらに、この太古の光景が地震や噴火や波や隆起といった、それぞれの要因によって破壊されるさまが描かれる。この光景は、最初に描かれていた現代の明るく穏やかな光景と対比させられる。
 ミラーは自然を描写するのに、人間社会や人工物に関わる比喩表現を用いて意味を吹き込む傾向があった。特にミラーが好んで用いたのは、演劇を想起させる比喩である。たとえば、「幕が上がる」という表現がよく用いられた。実際、ミラーは自然の過去を、連続的な物語というよりも不連続的な場面の集まりとして描いていた。たとえば、『オールド・レッド・サンドストーン』の最後の3章は自然の歴史を描いているが、このような傾向がよく表れている。また、“we are surrounded by …” といった表現はパノラマを想起させる。ミラーは1820年代にエディンバラに建てられたパノラマを訪れて、強い印象を受けていたのである。


2.創造のパノラマ

 1840年代と50年代にミラーは、演出的な技法をさらに発展させていった。バス・ロック(Bass Rock)についての共著(1848年)に書いたエッセイでは、第一紀から現代に至るまでの様々な時代のジオラマを描くことによって、ベースロックの地史を紹介した。ベースロックの輪郭はキャンバスのような役割を果たし、その上に様々な時代の様子が描かれていった。過去に移動したり逆に現代に移動したりする際には、詩が効果的に引用され、新たな場面の「幕を上げる」役割を果たした。霧や暗闇もまた幕の役割を果たしており、場面を転換するのに用いられた。またミラーは、過去の場面でも現在形を用いることで(詩を引用する際にも過去形を現在形に直していた)、読者を過去の世界に引き込んでいた。
 1850年代前半にミラーは、Edinburgh Philosophical Institutionで講義を行っていた。6つの講義の内容が『スコットランドの地質学』で紹介される予定だったが、ミラーが自殺してしまったため、結局は妻Lydiaによって編集された(『ポピュラージオロジーのスケッチブック』)。これらの講義でも、多くのジオラマやパノラマの描写が用いられていた。ミラーは詩を引用する際に大胆な改変を加えることで、地質学的ツアーにふさわしいイメージの詩に仕上げていた。描写されていた古生物学的内容は特別にオリジナルなものではなかったが、迫力ある場面を言葉だけで豊富に描いていた点でミラーは傑出していた。

 当時、詩人のDavid Moirは、地質学が景色から詩的なものを奪っているという批判を展開していた。ミラーは講義のなかでこれに反対し、氷河期初期などの景色を描写した上で聴衆に訴えかけた。このような光景は、十分に詩的なものに満ちているではないかと。ミラーは、近代科学は想像力の活動と反するものではないという。本当に深い知性と想像力を兼ね備えた詩人が現れたならば、その詩人は粘土の層や貝殻の破片のなかに、平凡な詩人が大海原や大空に見出すよりももっと、示唆的で壮大なものを見出すだろうとミラーは述べた。
 その次の講義でもミラーは、科学と詩は対立するというMoirの主張に反対する。ここでミラーが用いるのは、 “spot of time” という詩の手法(回想のなかの回想を辿ることを繰り返す手法)である。この手法によってミラーは自分の回想から出発し、次々と昔の場面に飛び移ってその時々のスコットランドのパノラマを描き、人類と地球の歴史を遡った。このなかでは、人類が登場している時期の場面でも自然の変化が描かれ、また人類が登場しない遠い過去の場面でも人間社会や人工物に関わる比喩が用いられている。ミラーが描いたこのツアーは、科学の世界(地史)と詩の世界(歴史)が連続的につながっていることを感じさせるものであった。
 ミラーによれば、自然は「サイン」によって書かれた銘板のようなものである。それぞれのサインにはそれ自体の重要性があり、読まれたときには心のなかで詩の形になる。そして地質学はこのサインを解読するための鍵なのだという。ポピュラライザーは、このサインがどのようにして詩になるのかを説明するために、自分たちの心のなかで解釈的光景を広げていた。そしてこの想像はしばしば、演劇の形式をとっていたのである。
 自然という銘板を地質学的・演劇的に読むことは、聖書を読むこととよく似ていた。ミラーにとってはどちらも、聖なる歴史と地史、つまり神の意図による神へと向かう進歩の演劇について知ることだったのである。