2016年2月13日

訓練された判断 Daston and Galison, Objectivity, 第6章後半

Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity (New York: Zone Books, 2007), 346–361.

第6章 訓練された判断

3.判断の技法(アート)

 20世紀中頃に起こった変化を理解するために、外科の例をみてみよう。19世紀の中頃から末期にかけては、絵を用いるのであれば線も色も注意深く監視することを誓い、あるいはその必要をなくすために写真を用いる、そういった科学者が雪だるま式に増えていった。だが20世紀中頃には、判断を積極的に行使するやり方が用いられるようになる。外科医のIvan D. Baronofskyは『一般外科における予防措置の図版』(1968)において、彼のイラストレーターは最高の解釈者であり、単なるカメラの役割を果たしたのではなく、その絵を正当化する特徴を引き出したのだと述べた。19世紀において科学イラストレーターがカメラになぞらえられることは最高の名誉であったが、Baronofskyはそれを不名誉なことだと考えている。今や、解釈できることこそが重要となったのである。John L. Maddenの『外科における技術の図版』(1958)も、切り口から出血しなかったり留め具や結紮糸が外れなかったりすることを例に、絵が実際の手術場面と異なっていることの利点を強調した。Maddenは解剖学的なリアリズムを守るために、カメラによる機械的客観性を避け、解釈ができる医学画家を採用したのである。BaronofskyやMaddenの態度は、世紀の変わり目にJohannes Sobottaが木版画を非難したのとは対照的である。訓練された画家は、描写を有用にするような際立った特徴を抽出することができる。

 これは、機械的客観性はもちろんのこと、写実(truth-to-nature)とも違うものである。昔の「賢者」たちは、認識や分類や診断を手助けするために誇張や強調をすることはなかったし、器具によって生み出された人工物を排除しようとすることもなかった。彼らは、個々の現れの不完全さのために曖昧になってしまった真実を追い求めていたのである。一方、訓練された判断は、専門知識を教えるために物体や過程から意味を引き出し表象を通して伝えるものである。形而上学的な真実のための完全化(写実)と、操作上の成功のための強調(訓練された判断)は異なっている。

 対象となる物体自体が変化しない場合であっても、訓練された判断が必要とされた。たとえば月の表面を撮った写真は、光の加減などが刻一刻と変化するために見え方が定まらない。V. A. Firsoffは純粋に機械的な方法では月の表面を明確に捉えることができないと主張し、『月の図版』(1961)では絵を用いた(図6.8と図6.9)。

 表象が対象物と同形でない場合もある。たとえば、物理科学において大量の数値による表の代わりに、人口密度地図のような図が用いられる場合などである。このような図を作る場合にも、科学者が元々のデータを操作していることがあった。Robert Howardらは『太陽の磁場の図版』(1967)において天気図のような図(図6.10)を描いたが、これを作る際にはデータを「ならす」作業をしていた。

 Gerhart S. SchwarzとCharles R. Golthamerは1965年に、『人間頭蓋骨のレントゲン写真図版――正常変異と偽病変』を出版した。この図版の一つの目標は、専門家でも病気と間違えやすい正常変異や偽病変をレントゲン写真から見抜く術を教えることであった。この目標を達成するために彼らは専門の画家と協力し、レントゲン写真を元にしつつもその上に正常変異や偽病変の特徴を手描きしていく方法を採用した。当初二人は、できる限り「自然に」、レントゲン写真において実際に見えるままの正常変異や偽病変を描いていくのがよいと考えていた。しかしすぐに、「自然に」描いていたのでは多くの読者には伝わらないということに気付いた。彼らが伝えたかったものは、見えた通りに描いていては「自然」のなかに埋没していってしまうような類のものだったのである。そこで二人は、「自然に」描くのではなく「リアルに」描くことを目標として、正常変異や偽病変の特徴を強調して描いていった(図6.11)。ここでは、既に存在する写真に加工をするということがリアリズムであるという、リアリズムの再定義がなされている。

 「リアルさ」は、訓練された判断の活用によって現れてくる。対象を機械的に表象に転写することはたしかに「自然」であるだろうが、「自然」であることはもはや科学的欲望の唯一の対象ではなくなった。もちろん、自己を律する機械的客観性はなくなったわけではなく、生き残り続けた。だがともかく、20世紀中頃において、機械的客観性に基づかない新しい形の科学的表象が次々と現れるようになったのである。

4.実践と科学的自己

 「賢者から労働者、そして訓練された専門家へ」「熟考によるイメージから機械的なイメージ、そして解釈されたイメージへ」という図式は、イメージの認識論的歴史を著者=科学者の倫理的認識論につなげるものである。20世紀初頭には、それまでとは異なる科学的自己を養成する状況が生まれていた。

 ポアンカレは、科学における発見の道具として直観の役割を強調した人物である。ポアンカレは数学者を、論理や分析によって仕事をするシャルル・エルミートのような人々と、物理的思考や視覚的描写、即座の把握によって仕事をするジョセフ・ベルトランのような人々に分けることができると考えていた。前者の人々は世界との接触を避けるかのように仕事をするが、厳密さで優る分、客観性においては劣っているとポアンカレはいう。逆に後者の人々は、厳密さを欠いている。ポアンカレは、論理的直観と感覚的直観は異なる能力であり、二つのサーチライトのようなものだと考えていた。

 ポアンカレの同時代人には、無手順的で直観的な方法が(数学のみならず)科学にとって決定的だと考える人が次々と現れていた。たとえばフランスの数学者ジャック・アダマールは、生産的な数学的自己に欠かせない一部分として無意識を強調した。ここでいう無意識はフロイトのいうような明確に詳述できる無意識ではなく、心理学者ピエール・ジャネのいう無意識的被暗示性や、ゲシュタルト心理学者たちのいうパターン認識の無意識的基準に近いものであった。アダマールは、無意識的なパターン評価の例として人間の顔の識別を挙げていた。アダマールはポアンカレに賛同して、無意識的な自己には識別の能力や美的感覚があり、どうやって選びどうやって察知すればいいかを知っているのだと考えた。

 このような無意識的で直観的な科学的自己は、「労働者」のそれと異なるのみならず、「賢者」のそれとも異なっている。「訓練された専門家」の知識は、現実に対する特別なアクセス(「賢者」のような天才性)によるものではなく、ただ熟練によるものである。また、「解釈されたイメージ」は形而上学的なものではない。専門家の判断が示す図解は、現実世界の向こう側に潜む理想的な世界を示すものではなく、入門者に見方や知り方を教えるものである。

 画像を見る人についての想定も変化している。「熟考によるイメージ」も「機械的なイメージ」も、それぞれにそれを見る側の認識的な受動性を前提していた。だが「解釈されたイメージ」はより多くを要求する。作り手も読み手もより活動的になり、意識的な能力だけでなく無意識な能力をも働かせるようになったのである。

 完全に自然の側による客観的なイメージに対比される例としては、20世紀初頭に精神分析家ヘルマン・ロールシャッハが生み出したロールシャッハ・テスト(被験者にインクのしみを見せて、何を想像するかを答えさせる検査)が挙げられる。このインクのしみは世界とは関係なく「ランダム」に生み出されるものであり、被験者がそこに何を読み込むかが問題とされた。ロールシャッハは、人間の認識や感情は自然の敵だという古い考え方を拒否したのである。またロールシャッハは、ポアンカレと同様に認識(意識的論理)と感情(無意識的直観)を組合せることを重視していた。

 天文学者も医師も、哲学者も数学者も、20世紀初頭の科学者たちは科学的自己を再構成した。同時期に、心理学者たちは主観性の深層を測る方法を開発しようとしていた。20世紀の半ばまでに、客観性と主観性はもはや対立するものではなくなり、DNAの螺旋のように、科学の対象を理解するための相互補完的な存在となるのである。