2016年9月27日

スコラ哲学における驚異 Daston&Park, Wonders and the Order of Nature, 第3章後半

Lorraine Daston and Katharine Park, Wonders and the Order of Nature, 1150–1750 (New York: Zone Books, 2001), pp. 120–133.


● 好奇心と異自然的(preternatural)なもの

 中世盛期におけるアリストテレスの注釈者たちは、自然の秩序についてどのような考え方をもっていたのだろうか? 議論の出発点となるのは、アリストテレスの『形而上学』における、「偶発的なものについての科学(スキエンティア、エピステーメー)は存在しない。というのも、すべての科学は、いつもそうであるものか、大部分においてそうであるものについてのものだからだ」という記述である。この記述に表れているように、アリストテレスもその注釈者たちも、決して破られることがない「法則(law)」が自然を支配しているとは考えていなかった。スコラ哲学者たちは「法則」という言葉を時折用いたが、それは「規則(rule)」という程度の意味であった。自然は何らかの標準形を目指しているが、たまには失敗して、6本指のような「偶発的な」産物を生むのだと考えられた。

 自然と奇跡の関係というテーマは、中世初期の哲学者たちにとっては、自然はすべて神の業による驚異であるというアウグスティヌスの考え方のために、大きな問題ではなかった。しかし12世紀初頭以降になると、バースのアデラードに代表されるラテン語の著者たちが、神の奇跡による介入を際立たせる自律的な自然の秩序という観念を発展させはじめる。たとえばトマス・アクィナスは、物理的出来事を3種類に分類した。1つ目は秩序に従う自然的な出来事であり、2つ目は6本指のような第二原因と偶然に基づく異自然的な出来事であり、3つ目は神によって直接的に(第二原因の介在なしで)実現される超自然的な出来事である。

 この区別には多くの問題があった。まず、自然的なものと異自然的なものの区別は難しかった。というのも、この境界は現象の珍しさによって決定されるが、珍しさは地理性の問題に依存していることが多かったからである(小人は西洋人にとっては異自然的な驚異だが、小人の土地では逆に西洋人こそが異自然的)。異自然的なものと超自然的なものの区別もやはり難しく、二つをまとめてしまった人たちもいた。アクィナスは、無知な人にとってのみ驚異的なのが異自然的なもので、全ての人にとって驚異的なのが超自然的なものなのだと説明した。

 学んだ人間と無知な人間の反応を比較するアクィナスの議論は、キリスト教の伝統における倫理的問題と関係している。アウグスティヌスは驚異の念を神の全能の前での謙虚さの適切な表現とみなす一方で、好奇心を色欲や高慢さに関係づけて酷評した。アウグスティヌスによれば、日食を予測する天文学者のような仕事は、創造に対して彼ら自身が驚異の念をもつことを阻む上に、人々が神に向けるべき驚異の念も天文学者が奪ってしまうという悪徳なのである。アウグスティヌスの議論は後世の著者たちに大きな影響を与えたため、アクィナスも因果的な知識を探究する学者として、異自然的なものや驚異の念に対するジレンマを抱えていた。この問題に対するアクィナスやアルベルトゥス・マグヌスの解決法は、好奇心と正しい探究を区別することであった。アクィナスの場合、好奇心は無目的なのに対して、篤学さ(studiousness)は知識それ自体への情熱であって価値があるのだと論じた。アルベルトゥスやアクィナスは驚異の力を認めつつも、アカデミックな哲学者としてそこから距離を置いたのである。14世紀には、驚異に関する記述は哲学的著者のテクストから概ね消失する。

 代表的な例外は、カタルーニャ人哲学者のラモン・リュイである。リュイの『驚異についての書』(1310)では、主人公フェリシュが世界を旅しながら自然現象の原因を学んでいく物語が描かれる。この作品は、後世に与えた影響は小さかったものの、自然哲学とアウグスティヌス的価値観、それにエリートの文学趣味を架橋した試みであった。


● 驚異を鎮める

 異自然的なものというカテゴリーは、観察者の経験や知識に依存するような不安定な基準によって定義されたため、雑多な現象の寄せ集めになってしまった。13~14世紀の哲学者たちは、自然的原因を追究することの重要性を認識する点では比較的一致していたが、具体的な原因に関してはそれぞれに異なる主張をしていたのである。この傾向は特に、アラビア語の哲学的文献が流入してきたことで強まった。

 アカデミックな著者の誰もが、手品師が巧みな手練によって錯覚を引き起こすことや、複数の自然的原因が組み合わさって偶発的な出来事を起こすことに言及した。また、天界が自然的物質に種的形相を与えることによって驚くべき性質を刻印することも一般的に認められており、磁鉄鉱の磁力やコバンザメの力強さなどが説明された。種的形相以外にも天界が特別な刻印をすることを論じる哲学者もおり、たとえばアルベルトゥスは、人間と動物の混血の誕生や、化石の存在などを説明するのにこれを用いていた。

 さらに、驚異の存在を人間や悪魔による直接的介入で説明する哲学者たちもいた。特に悪魔による説明はしばしば論争の火種となり、アクィナスは物質的な媒介なしで悪魔が影響を及ぼすことはできないと論じて反対した。ただし、このような個々の点での不一致はあったものの、大衆の迷信に反対するという点では、アリストテレスの注釈者たちのほとんどが一致していた。哲学者たちは驚異を原則的には自然的原因で説明し、神や悪魔の介入による説明は最小限にしようとしていた。

 しかし、自然的原因に基づく驚異の説明は、偶然的な効果や感知できない種的形相に依拠していたため、自然哲学の一部になることはできなかった。驚異の一般的なタイプについての説明はできても、個々の驚異の特性を説明する理論にはなっておらず、それらを知るには経験に頼るしかなかったからである。この問題は、哲学者たちが驚異を鎮める力に深刻な制約を課していた。それでも、アルベルトゥスやアクィナスといった中世盛期から後期のスコラ哲学者たちは、驚異を悪魔や超自然的なものではなく、自然的原因だけで説明しようとする点で一致していた。

 そうした試みのうちで最も包括的かつ体系的だったのが、フランスのシャルル5世の側近を務めたニコル・オレームの『驚異の原因』(1370)である。オレームはこの本で、占星術の体系全体を攻撃して種的形相の議論を拒否すると同時に、悪魔や神を持ち出す説明も拒否した。13世紀の先駆者たちと比較してオレームに特徴的だったのは、第一に自然的現象の多様性を強調したことであり、そうすることによってオレームは時折規則性から外れる驚異物が現れるのは驚くべきことではない(むしろほとんどの場合において破られない規則性のほうが驚きに値する)と論じた。第二に、オレームは人間が個々の驚異の原因を知り得る可能性についてやや楽観的であった。

 個々の出来事の原因について、より本格的な関心を抱いたのが同時代のイタリアにおける医学的な著者たちであった。彼らの貢献もあって、驚異の問題は自然哲学に統合されていくことになるのである。