2016年11月25日

動的分類系に関する早田文藏のドイツ語論文 Hayata, “Über das „Dynamische System” der Pflanzen”

Hayata Bunzô, “Über das „Dynamische System” der Pflanzen,” Berichte der Deutschen Botanischen Gesellschaft 49 (1931): 328–348.

1.序文
 この論文では、筆者が1921年の論文で発表した「動的分類系」を説明する。この分類系の基礎は、現在の分類学者たちが前提とするものとは本質的に異なっている。彼らが基礎とするのは、単一の最初の生物から無数の現生種が生じてきたと仮定し、その遺伝的つながりについて枝分かれ状の系統樹を想定するダーウィンの理論である。系統樹の構築は、現在の植物体系学において最も主要な目標となっている。それに対して筆者の仮定は、第一に祖先は現生種と同じくらい多数存在しているということであり、第二に祖先も子孫も互いに上下左右に網状の関係にあるということである。

2.植物の網状関係と跳躍的変化
 最初に、エングラーによる双子葉類の体系を概観してみよう。我々は、離弁花類に属する目を片側(たとえば左側)の列に並べ、合弁花類の目をもう一方の列に並べていく。左側の列のなかでも右側の列のなかでも、それぞれの目はお互いに確かな類似性を示しているのは確かである。しかし、冷静かつ中立的にこの体系をよく見ていると、左側の列にあるそれぞれの目が、同じ高さにある右側の列の目と密接な関係を示しているという思いがけない事実に気付くはずである。いわば織物の縦糸と横糸のように、双子葉類のさまざまな目は、鉛直方向だけでなく水平方向の関係も示しているのである。
 今度は、ディールスによるシダ植物門ウラボシ科の体系を見てみよう。ここでも、異なる分類群に分けられている属が、お互いに密接な関係を示している例を見つけることができる。クリスト(Konrad Hermann Heinrich Christ, 1833–1933)も、Nephrodiumのような形のシダがAlsophilaのような胞子嚢群をもっていたり、Alsophilaのような葉をした種がNephrodiumのような胞子嚢群をもっていたりすることを報告している。
 植物界のさまざまなグループのあいだの関係は、縦と横の両方に広がるという点で、メンデレーエフの周期表における化学元素間の関係を想起させる。もちろん、生物と非生物を比較することに対する批判はあるだろう。しかし、植物における近い属や目のあいだには一般的に、漸進的ではなく突然的・跳躍的な移行が見られる。この事実は、量子論によって説明されるような、化学結合において見出される関係によく似ている。こうした網状関係や段階的移行は、ダーウィンの理論によっては説明され得ない事実である。我々が見るのは漸進的変化ではなくむしろ偶然変異、系統樹的関係ではなくむしろ網状関係なのである。
 ここに挙げた事実を考えるためには、メンデルの法則に言及する必要があるだろう。それによると、種間の相違は因子(Gene)の関与の違いに由来する。2つの種を交配すれば、F1世代では雑種が得られるが、F2世代ではヘテロ接合体とホモ接合体に分離する。後者は、偶然変異の場合の例外を除いて、永続的で変わらない種のように見える。しかし、これらF2世代の個体はその由来についての特徴を何ら示さない。父方の種から生じたのか、母方の種から生じたのか、それとも直接に雑種から生じたのか、わからないのである。それゆえメンデルの法則が正しい限り、分類系の構築に際して必要とされる系統学的方法は欺瞞でしかない。体系学の基準は種の因子組成(因子型:Genotypus)でなければならない。言い換えれば、内的構成(innerer Bau)に関係する類似や相違が根拠でなければならない。たとえ、単一の祖先からいくつかの種が樹木状に枝分かれして生じたと考えても、その祖先自体がまた2つの祖先に由来しているヘテロ接合体である。木の根のように下っていくと、その祖先は、遠く離れた過去においてますます小さな根に裂かれていく。喩えるなら、体系学で採用される普通の系統樹は、地下の根系がなく地上の一つの幹といくつかの枝から成っているようなもので、そのような木は突風が吹けばひっくり返されてしまうに違いない。

3.動的分類系
 内的構成の類似と相違、言い換えれば因子の組成(Zusammensetzung)を植物の体系学に用いるならば、種の分類方法は多種多様であり得る。たとえば、白い花の因子をA、赤い花の因子をa、白い果実の因子をB、赤い果実の因子をb、白い種子の因子をC、赤い種子の因子をcとしたとき、他の因子を考慮に入れなければ、(1)ABC、(2)ABc、(3)Abc、(4)aBC、(5)abC、(6)AbC、(7)aBc、(8)abcという8つの種を分類する方法は3つある。花に注目して(1)(2)(3)(6)と(4)(5)(7)(8)という2つのグループに分ける方法、果実に注目して(1)(2)(4)(7)と(3)(5)(6)(8)に分ける方法、種子に注目して(1)(4)(5)(6)と(2)(3)(7)(8)に分ける方法である。
 筆者の意見では、自然分類とはこの3つの方法の統合であり、それによって完全な体系が得られる。筆者のこれまでの論文では、このようにして構築される分類系を「動的分類系」と呼んでいる。それに対して、これまでの体系学者たちが採用してきた分類系を「静的分類系」と呼んでいる。
 問題となる因子が限られており、それらの因子が3つ以下のグループに属し、[それぞれのグループ内で]因子が数学的に直線的な関係を築いている場合、自然分類は簡単な構造をとり、体系化は一つの方法だけで足りる。このような場合には、自然分類が静的分類系に似てくる。
 たとえば、3つの種の相違が花の色の因子に起因している場合、白い花の因子をa0、淡紅色の花の因子をa1、真っ赤な花の因子をa2とすると、色の度合の関係は直線上[x軸上]に表される(図1)。この場合には、このような静的分類系だけが可能である。
 次に、2つのグループの因子があり、それぞれのグループが3つの対立形質あるいは対立因子をもっている場合を考える。先ほどの例に登場した因子に加えて、白い果実の因子をb0、淡紅色の果実の因子をb1、真っ赤な果実の因子をb2とする。b0、b1、b2をy軸にとり、9つの種に関する平面上の静的分類系をつくることができる(図2)。
 さらに、3つ目のグループの因子としてc0、c1、c2を追加すると、これらをz軸にとって、27個の種に関する空間的な静的分類系をつくることができる(図3)。
 では、4つ目のグループの因子(d0、d1、d2)を追加した場合にはどうすればいいのか。aをx軸に、bをy軸に、cをz軸にとり、三次元の静的分類系をつくることはできるが、この場合dグループの因子が異なる3つの種が同じ点に集まることになる(図4)。同様に、a、b、dの組合せ、a、d、cの組合せ、d、b、cの組合せでも三次元の静的分類系をつくることができる(図5、6、7)。自然分類は、動的な感覚でこれら4つの静的分類系を総合することによって理解される。
 一般に、因子のグループの数をnとし、それぞれのグループにm個の因子が属しているとする。このとき、因子の異なる組合せの数はmのn乗となる。これらを一つの因子の有無で分けると、mのn-1乗個の組合せのグループが2つできる。因子a0に相当する形質をもっている種の数をs1、因子a0をもっていない種の数をt1とすると、m^n=s1+t1が成り立つ。同様に、因子b0についてはm^n=s2+t2の式が成り立つ。このような方法によるグループ化の仕方の数はm.nとなる。自然分類をNsとし、s1, s2, s3, … s(m.n)というグループ群をS、t1, t2, t3, … t(m.n)というグループ群をTとすると、Ns=(m.n×S)+(m.n×T)、またはNs=m.n×(S+T)という式が成り立つ。ただしここで×の記号は掛け算を意味しているのではなく、自然分類がm.n個のグループ群(S+T)で把握されるということを示している。また、+という記号も足し算を意味しているのではなく、グループ群Sとグループ群Tは一緒になってグループ化し直されるということを示している。
 すでに述べたように、因子のグループが4つ以上存在する場合には、そのうち3つのグループを選び出して空間的システムに整理することを繰り返し、それら全てを総合的に観ることで自然分類が表現される。3つの因子グループの選び方は、nC3=n/6(n-1)(n-2)通りであり、空間的に表現された部分システムをRsとすると、Ns=n/6(n-1)(n-2)×Rsという式が成り立つ。ただしここで×の記号は掛け算を意味しているのではなく、自然分類がn/6(n-1)(n-2)個の部分システムで把握されるということを示している。
 自然分類は動的な仕方でのみ把握できるという筆者の考えを目に見えるような形で表現するならば、図8のような装置で壁に映し出される投影像を想像してほしい。逆方向に回転する2枚の円盤によって映し出される像は動的分類系に相当する。一方、静的分類系は止まっている板の像に相当する。
 最後に、なぜ植物は網状の関係と段階的な相違を示すのかという問いに答えたい。

4.因子分配説(Partizipationstheorie)
 この理論は本来一つのものだが、便宜上、因子相互協力説(Kooprationstheorie)と因子相互分配説(Verteilungs- oder Anteiltheorie)の二つに分けることにする。Kooperationという言葉は、ある種を生みだす際における因子の共同作業を表現している。種や器官を形成するプロセスには、様々な因子が参加している[因子相互協力説]。一方で、異なる種や異なる器官にも、同一の種類(Arten)の因子が、異なる割合であれども関与している[因子相互分配説]。一方の面では、一つの種に対する様々な因子の関与を説く理論であり、もう一方の面では、同一の種類の因子に対する様々な種の関与を説く理論であるから、これを「因子分配説」と名付けたのである。ただし、筆者の理論における「因子」という概念は必ずしも遺伝学の因子概念と同じというわけではなく、より広い範囲の意味をもつ。
 詳細な説明に入る前に、正確ではないがわかりやすい視覚的な表現を示したい。普通の種概念では、種は一つの統一体として表現される。図9では、これを赤いボールや黄色いボールで表現した。しかし筆者の見解では、種は単一の統一体ではなく基本的な統一体のつながったもの(集合体)であり、単色のボールではなく、いくつかの異なるガラス玉の集まりのようなものである。図9の赤いボールは実は図10のような、赤いガラス玉が黄色いガラス玉に対して優勢であるようなガラス玉の集合体である。筆者は、それぞれの種はその本質的な要素においてはまったく同一であり、ただそれらの要素の割合と結合の種類が異なることによって区別されるのだと考えている。色のついたガラス玉、たとえば赤いガラス玉は減ることもあり、そのときはボールの見え方も変わってくる。構成要素が増えたり減ったりすれば、以前は異なっていた種が同じになったり、ある種から異なる新しい種が生じたりする。外観の違いは、構成要素の数量と割合や、それらの組成のされ方(Struktur)の違いに基づいている。構成要素の種類は基本的にすべての植物に共通であり、その意味においてすべての種は等しい。
 筆者の理論をより良く理解するために、読者には力の保存の法則を思い起こしてほしい。保存則によって、世界はその本質においては過去から未来まで同一である。見かけの現れだけが時と共に変化するのであって、本質においては世界には増加も減少もない。
 すべての個体は全体、すなわちこの世界と密接な関係にある。その関係の本質は、あらゆる方向へ向かう網の糸に似ている。これらの糸は、化学における親和力や物理学における引力や磁力とみなすことができる。部分を動かせば、必ず全体も動いてしまうのである。
 すべての個体および種は無数の因子、あるいはファクター(Faktoren)を中にもっている。一方では因子に由来する形質が現れるか潜在するかによって、また一方では支配的な因子の結合や分離によって、個体や種は様々な形態的な現れを示す。それゆえ、個体間の類似や種間の類似は、同一の種類の隠れた因子や支配的な因子の関与、および類似したグループ化に基づいている。
 さらに、因子は潜在状態から支配的状態に、もしくはその反対に移行することができる。個体に存在する全ての因子は、あるときには支配的であるがあるときには潜在している。また、状況に応じてその量や割合を変えることもあるかもしれない。個体や種は、このような因子の変化によって変化していく。しかし、新しい因子が創造されたり生み出されたりすることはないし、存在する因子が消滅することもない。今存在する因子は同一のまま、永遠の過去から無限の未来に至るまで存在し続ける。個体や種の現れは、非常に長い時のなかで変化していく。そうした変化は個体のなかで、あるいは別の個体との交配によって生じる。後者の場合、メンデルの法則に従うときもあれば従わないときもある。それでも、個体はその真の実在においては同一のままである。
 全ての個体や種は、普遍性と特殊性という二つの異なった観点から観察することができる。個体の普遍性は、同一の種類の因子がすべての個体に関与しているという事実から生じる。個体の特殊性は、見かけの現れの相違として現れるが、存在する因子の割合の相違や、因子の結合の相違に由来している。
 宇宙はいわば、無数のガラス玉を伴った果てしない網のようなものである。それぞれのガラス玉は、異なる色をもった網の目の上に存在している。それぞれのガラス玉は別のガラス玉の像を反射するので、観察者の位置に応じて異なった色合いを示すのである。しかしそれらは観察者の目に対する現れ方において異なっているだけであって、実際の存在においては全て常に同じ無色のガラス玉である。反射された無数の様々な色の像(観察者の位置によって見えるものも見えないものもある)を伴ったガラス玉のそれぞれはいわば個体あるいは種であり、各々のガラス玉の上に目に見える像はいわば筆者が語ってきたところの因子に相当する。
 ここまでで、個体もしくは種、および因子の、本質と現れについては分けて考察してきたが、しかし両者は一つにまとめてのみ考えられるのであって、互いに独立なものとしては理解できないというのが、筆者の理論の最も重要な点である。本質と現れは、決してお互いに別々に存在できるわけではない。実在のあるところには、そのために必然的に現れもある。本質と現れは結びついて一つになっている。一方は、もう一方なしでは理解され得ない。
 以上からわかるように、個体や種は単一の性質のものではなく様々な因子の様々な結合によって生じたものとみなされるという第一の理論は因子相互協力説と呼ばれる。そして、個体間や種間の特異性における類似は同一の種類の因子の関与に基づいているという第二の理論は因子相互分配説と呼ばれる。両方の理論が一緒になって因子分配説を形成する。
 因子分配説に従うと、全ての種類の植物は、祖先も子孫も、その本質においては同一である。そして、これだけ多くの異なった種類があるのは、種に含まれる因子が状況に調和するふさわしい一時的な現れと結合を示すためである。因子の割合の相違に基づく構造的(konstitutiv)な相違が、種の形態的な相違を示す。

【メモ】
因子分配説(英:the participation theory、独:die Partizipationstheorie)
因子相互協力説(英:the theory of the mutual participation of the gene、独:die Kooprationstheorie der Gene)
因子相互分配説(英;the theory of the mutual sharing of the gene、独:die Verteilungs- oder Anteiltheorie der Gene)

2016年11月2日

化石研究とジオグノシーの結合 Rudwick, Bursting the Limits of Time, Ch. 8

Martin J. S. Rudwick, Bursting the Limits of Time: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Revolution (Chicago: University of Chicago Press, 2005), pp. 417–469.

8章 地史に発展するジオグノシー

8.1 地球の「考古学」(1801–4)
キュヴィエのような化石の研究者たちは、地層に順序があるということを認識していないなど、ジオグノシー(geognosy)には疎かった。一方、ヴェルナーの追従者たちのジオグノシーは、地史を大理論から演繹するのではなく特定の地域の特定の岩石からボトムアップで研究するという新しい段階に突入していたが、こちらでは化石はあまり注目されなかった。屋内での化石標本研究と屋外での岩石累層の研究を結合したのは、地理的・社会的に分断された二つの新しい発展であった。第一の発展は、ゲッティンゲン大学のブルーメンバッハによる「考古学」の試みに始まる。ブルーメンバッハは、「知られているもの」「疑わしいもの」「知られていないもの」という化石の三区分を、三つの時代に対応するものとして読み替えた。ブルーメンバッハの学生であったシュロートハイムが、植物化石の研究でこの路線を引き継いだ。

8.2 地層の順序(1801–6)
第二の発展は英国で起こった。スミスは累層と化石の相関を発見した最初の人物ではないが、ある層に特有の化石という概念が極めて広い範囲の地域に通用すること、そしてそうした化石に基づいて累層を高い信頼性で区別できることを示した点で革新的であった。しかし、スミスはそれらの累層の形成を因果的に説明することにはあまり関心をもっていなかったし、ましてや歴史的な科学をつくっていたわけでもなかった。

8.3 地史のタイムスケール(1803–5)
1805年にキュヴィエは一般向けの講義を行い、その際に「地質学」の名称を採用した。キュヴィエの地質学にとって一つ目の脅威は、ナポレオンが教皇と和解したことによって宗教的伝統主義が再表面化したことであった。シャトーブリアンに代表される聖書直解主義は、長いタイムスケールを否定するものであった。二つ目の脅威は、ラマルクの定常モデルに代表される永遠主義であった。キュヴィエは講義のなかで、両者の中道を行く立場を主張した。

8.4 地史の新しい課題(1806–8)
「地質学」という言葉をド・リュックは地球理論(geotheory)の意味で用いていたが、この時期には、鉱物学的な記述の実践、自然地理学、ジオグノシー、地球物理学の因果的解釈、などといった領域の総合のようなものを意味するようになっていた。こうした変化は、キュヴィエの権威に裏打ちされていた。キュヴィエはまた、地史の9つの課題をリスト化して実りある研究の方向性を示した。また英国では、ロンドンに新しく創設された学会が「地質学会」と名付けられた。

キュヴィエの台頭 Rudwick, Bursting the Limits of Time, Ch. 7

Martin J. S. Rudwick, Bursting the Limits of Time: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Revolution (Chicago: University of Chicago Press, 2005), pp. 349–415.

7章 以前の世界に住んでいたものたち

7.1 学者界のマッシュルーム(1794–96)
ビュフォンやウィリアム・ハンターらが亡くなったことで化石骨の研究が停滞した1790年代に、キュヴィエは彗星のように現れた。特に、メガテリウムとマンモスについてのキュヴィエの2つの論文は文芸共和国じゅうで大評判となった。キュヴィエはこれらの化石骨の比較解剖学的研究を通して、「部分の相関」と「形質の従属」の法則や、それらが自然的類縁の決定を可能にすること、またこれらの化石骨が現生の種とは異なる絶滅した種であるということを主張した。キュヴィエは、現在の人間の世界と人間以前の世界をはっきり分ける二部構成的な地史モデルを採用した。

7.2 キュヴィエ、キャンペーンを開始する(1797)
すでに二部構成的地史モデルを提唱していた人物としてはドロミューやド・リュックがおり、キュヴィエは彼らからヒントを得ていたようである。1798年にキュヴィエは自然史学会で自身の研究プロジェクトを発表し、比較解剖学によって化石骨からその動物の姿や生活様式や生息環境を推測することができると主張した。だが反対意見も多かった。ラ・メトリは、化石と現生種の違いは、現生種のなかでの違い程度に過ぎないと論じた。フォジャは、化石の種はまだ見つかっていないだけでどこかで繁栄している(生きた化石)と主張した。

7.3 化石骨のナポレオン(1798–1800)
政治的混乱と戦争が続いたこの時代、ドロミューが英国に捕われるなど学術活動に対する影響はあったが、ヨーロッパの国々のあいだでの学者たちの交流は続いていた。キュヴィエは、学士院第一部の事務書記に就任したことでナポレオンを直接接触できる立場となり、影響力を強めた。キュヴィエは自説の証拠を増やすために、国際的なネットワークを形成して化石骨に関する情報の収集を強化した。

7.4 ラマルクの代案(1800–1802)
キュヴィエの議論に対する最大の異論は、年上の同僚であるラマルクによって唱えられた。ラマルクは、全ての生物は時の流れのなかで不可避的に変化するのであって、化石骨と現生種の違いは過去における絶滅の存在を意味しないと論じた。無生物から生物が自然に生まれるというラマルクの議論は、過去のどの時点においてもその時点に固有の特徴はないということを意味するため、地球や生命に関する真の意味での歴史の存在を否定するものであった。この立場はハットンに近い。一方キュヴィエは、ド・リュックやドロミューの考えを拡張し、以前の世界に住んでいた哺乳類は現生種とは明確に異なると主張することで、歴史の存在を示した。二人の真の対立点は、激変を認めるかどうかということよりも、むしろここにある。

7.5 化石の群れを増やす(1802–4)
ラマルクは現生種とは明確に異なる化石骨の証拠を次々と繰り出し、論敵であったフォジャを沈黙させた。以前、ド・リュックやドロミューは、以前の世界と現在の世界を分けた出来事とその年代の特定に注力したが、以前の世界が現在の世界とどのように異なるのかは曖昧なままだった。それとは対照的にキュヴィエは、以前の世界に住んでいた哺乳類たちを生き生きと描き出した。こうして、地球が歴史をもつことがはっきりしたのである。だが、そうした化石の動物相はまだ、地史のなかに統合されてはいなかった。