2019年9月15日

シュライアマハーの宗教論 Richards, The Romantic Conception Of Life, 第2章第7節

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. 94–105.


第2章「初期のロマン主義運動」
第7節 フリードリヒ・シュライアマハー:宗教の詩学と性愛学

 フリードリヒ・シュレーゲルが深く関わり大きな影響を受けたもう一人の人物が、シュライアマハーであった。シュライアマハーは1768年にブレスラウ(ポーランド)で改革派牧師の息子として生まれ、ヘルンフート兄弟団の学校で教育を受けたが、ゲーテやカントを好んで読んだ結果として宗教的に異端の思想を抱くようになっていった。ハレ大学で神学を学んだ後、家庭教師などの仕事を経て、1796年からベルリンにあるシャリテ慈善病院の牧師として働き始めた。ここでシュライアマハーは、ユダヤ人医師のマルクス・ヘルツの妻であったヘンリエッテ・ヘルツと深い関係を結ぶようになった。

 同時期に、シュライアマハーはシュレーゲルとも出会った。二人は意気投合し、2年間にわたって共同生活を送った。シュレーゲルに文章を書くように促されたシュライアマハーは、1799年に代表作のひとつである『宗教論』を匿名で発表した。この本はすぐに多くの人に読まれて、シェリングは冷笑的であったが、シュレーゲルをはじめ多くの人々が評価して、ロマン主義の潮流の一部となっていった。

 この本でシュライアマハーは、芸術と愛によって陶冶される直観と感情こそが宗教の本質であり、無限なる存在に対する絶対依存の感情を解き放つものだと論じた。これは、カントに反対して、宗教への衝動を道徳やカントのいう幸福から区別するものでもあった。シュライアマハーの考えでは、性愛は宗教を基礎づける直観を受容するための準備をする。有限な存在である人間が、カントの引いた境界線を超えて無限なる「宇宙」に至る手段が、愛と詩であった。

 シュライアマハーの議論では、宗教の教義はその直観を呼び起こすのに役立つかもしれないが、それ以上の役割は持たないことになった。『キリスト教信仰』(1821–22)では、神学の諸説はある種の感情(無限者に対する絶対依存)を比喩的に表現したものに過ぎないと論じた。このようにして科学と宗教を調和させるシュライアマハーの解決策は、19世紀の多くの科学者に受け入れられた。

ドイツ自然哲学とロマン主義的生物学 Richards, The Romantic Conception Of Life, Introduction

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. 1–14.


イントロダクション:最も幸福な出会い

 1794年7月20日、ゲーテ(1749–1832)とシラー(1759–1805)はイエーナ自然科学協会の集まりで同席した。2人は6年前から知り合っていたが、関係はよくなかった。シラーは超然とした天才風のゲーテに敵愾心を抱いていたし、ゲーテはカント的な主観主義の立場をとるシラーに当惑していた。それゆえ、ゲーテとシラーは集まりの後、お互いに用心しながら議論をした。ゲーテはこのとき、講演していた植物学者アウグスト・バッシュの意見に反して、自然の研究は全体から部分へと進むのでなければならないと話した。シラーはこれに好奇心をそそられて、ゲーテを家に招いて会話を続けた。ゲーテは、すべての植物を理解するための形態学的モデルとなる「原植物 Urpflanze」のスケッチを見せたが、シラーは「これは経験ではない、理念だ」と言ったので、ゲーテは憤慨した。しかし、この出会いはゲーテとシラーの終生続く友情の始まりとなったのである。

 ゲーテは『形態学のために Zur Morphologie』(1817–24)の最初の回で、この出会いについて書いた。このことは、ゲーテの理論がロマン主義的感覚から生じたものであることを示唆しているように思われる。ゲーテをロマン主義者だとするのは、奇異な考え方に映るかもしれない。たしかにゲーテは、ロマン主義を批判していた。しかし1830年には、自らの意志に反して自分自身がロマン主義者だったということをシラーによって納得させられたと述べている。

 19世紀の科学を研究する歴史家たちはふつう、ロマン主義的科学というようなものは何であれ異常なものとして片付けてしまう。歴史家のTimothy Lenoirでさえ、この時代の「本物」の生物学者たちを切り分けてこの汚名から守ろうとした。しかし、当時の生物学を、そこに生命を吹き込んでいた思想や文化と繋げて捉えれば、生物学の多くの主題がロマン主義の様式で演奏されていたことがわかるだろう。

 この本のパート1では、ロマン主義の潮流を生み出したノヴァーリス、シュレーゲル兄弟、シュライアマハー、シェリング、ゲーテ、カロリーネ・シェリングらの人生と思想を追う。パート2では、カント、ヘルダー、ブルーメンバッハ、キールマイアー、フンボルトらによる生命の本質の定式化を考察する。彼らの定式化は、シェリングやライルと融合し、変形した。パート3では、ゲーテと彼のロマン主義に対する一見矛盾した評価の問題を扱う。エピローグでは、ドイツのロマン主義がダーウィンに与えた影響を論じる。この本は伝記的な性質が強いが、それは、思想がつくられているところを捉えるためには、その人物の特徴について詳しく理解することが重要だと確信しているからである。


● 自然哲学とロマン主義的生物学の歴史的意味

 これまで、「ロマン主義」や「自然哲学 Naturphilosophie」といった言葉は定義されずに曖昧に用いられることが多く、そのせいでそれらが科学の歴史のなかで果たした役割が侮られることが多かった。この本では、「ロマン主義的生物学」や「自然哲学」といった言葉で表される思想の起源と発展を辿ることでその定義をしていくが、その前に暫定的な定義をつくっておきたい。これからそれらの思想の特徴をいくつか述べるが、それらすべてを組み込んでいた思想体系が存在したわけではない。ある思想体系がどれくらいロマン主義的、あるいは自然哲学的であるかは、そのうちどれくらい多くの特徴をもっていたかで判定されることになる。

 「自然哲学」と「ロマン的」はどちらも18世紀初頭に導入された言葉だが、18世紀末の人々によって新しい方向づけがなされた。両者は深く関係した歴史を辿ってきたし、現在では相互に交換できる言葉として使用されることも多いが、異なるものである。私は、ロマン主義的生物学をドイツ自然哲学という属の一つの種として理解することを提案する。


● 自然哲学

 自然哲学の主要な人々は、カントやシェリングやゲーテが普及させた、生物はいくつかの「原型」を示しているという考え方を採用した。たとえば、動物の原型として「放射相称動物 radiata」「関節動物 articulata」「軟体動物 mollusca」「脊椎動物 vertebrata」の4つがある。

 カントは、生物のこのようなあり方が示唆しているのは、生物はそれが具現化しているところの理想(ideal)から生み出されているということだと主張した。しかしカントは、自然の科学的分析は機械論的、ニュートン科学的におこなわれなければならないとも説いていた。そこでカント主義の生物学者は、原型という概念をあくまでも発見的方法として用いるしかなかった。一方、シェリングやゲーテ、それに追随した生物学者たちは、原型が生物学者にとって必要な仮定であるならば、自然が本質的に原型的である――つまり機械的というよりも有機体的である――とみなしてもいいはずだと考えた。

 自然哲学者たちは、原型の具体化や漸進的な変異を説明するとき、特別な力の存在に訴えた。しかしそれは物理学的な力と両立しないものではなく、むしろ物理学的な力の特別な適用(動物電気や動物磁気など)であったり、物理学的な力から生じたもの(生命力 Lebenskraftや形成衝動Bildungstrieb、自然選択など)であったり、物理学的な力を構成するもの(シェリングのpolar forcesなど)であったりした。また自然哲学者たちは、物質と精神を同じひとつのもののあらわれと見る一元論を採用し、自然を調和的で統一されたネットワークとみなした。

 原型が自然のなかでどのように具体化されるかについては、3つの異なる理論があった。シェリングらは、原型の変異の出現を、漸進的発展の結果とみなした。これは反宗教的とみなされやすかったので、イギリスのジョゼフ・ヘンリー・グリーンやリチャード・オーウェンは、原型は神の心のなかにあるもので、原型が自然のなかに出現するのは神の活動の結果だということにした。そしてダーウィンは、原型的構造を抽象的なものとしてではなく歴史的な産物とみなした。

 自然哲学者たちは、個々の生物や自然全体を、目的論的に理解されるべきものだと考えた。ただしそれはイギリスの自然神学とは異なり、スピノザ的に神と自然を一体とみなすものだった。このような考え方は、デカルトやニュートン以来の機械論に反している。自然は創造主のデザインの産物ではなく、それ自身を生み出す存在となった。時計のような機械に歴史性を見出すことは難しかったが、このような自然哲学の見方は、自然に歴史を見出すことを可能にした。


● ロマン主義的生物学

 ロマン主義者たちは、自然哲学の考え方に、美的・道徳的な要素を加えた。

 ロマン主義的生物学者たちは、目的論的判断と美的判断は論理的に類似しているというカントの分析を受け止めて、両者は自然に対する相互補完的なアプローチだとみなしていた。これは、芸術的な方法と科学的な方法が調和するという考え方につながった。ロマン主義的生物学者たちはしばしば、生物全体や自然環境全体の美的把握が、個々の部分の科学的分析の前に必要だと論じた。

 カントはさらに、美的判断と道徳的判断の論理的類似性を指摘した。このことから、自然の科学的・美的把握は道徳的要素も含むということになった。そこでロマン主義的生物学者たちは、自然は法則性や美的喜びだけでなく、道徳的価値の宝庫でもあると考えた。

ロマン主義の人生と生命観 Richards, The Romantic Conception Of Life, Prologue

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. xvii–xix.


プロローグ

 この本のタイトルは、この研究の2つの側面に関係している。1つは、この本で議論する個々人によって経験されたものとしての人生(life)である。彼らはロマン的な人生を送った。恋人が15歳で亡くなり自身も30歳になる前に亡くなった若い詩人(ノヴァーリス)。革命のときフランス人兵士にあっという間に夢中になり、彼の子どもを身籠っているあいだに幽閉された美人(カロリーネ)。友人の妻と恋に落ち、その娘とも恋に落ちた哲学者にして科学者(シェリング)。ローマへ逃げ延びて、繊細な詩で性の解放を称賛した有名な書き手(?)。これらの人々は、中産階級の道徳的慣習に反抗し、自由の理念を唱道し、その普通でない生涯の記憶を自叙伝や手紙に、さらに非直接的な形では詩や小説、神学的・科学的文章にも書き残した。彼らは、意識的に「ロマン的」という言葉を盗み取って専有した。そして、彼らの人生がこの言葉の意味を定義することになったのである。

 もう1つは、そのような人生を送った個々人が、詩や哲学や科学を通して、生ある自然をロマン主義的な様式で理解しようとしたということである。一般的には、彼らは一様に啓蒙主義の理性重視に反対していたのだと理解されているが、実際のところはそういうわけではない。むしろ、ロマン主義者たちの多くは、科学的精神は宇宙の隅々までを見通すことができると考えていたという点で理性主義的であったとさえいえるかもしれない。だが彼らは、美的な判断が現実の深い構造に至るもうひとつの相補的な道を提供するとも主張した。特に、哲学や科学を詩的に変容させることで、それまで考えられなかったような自然の特徴を明らかにできるかもしれないという主張をして、哲学や科学の性質に関する想定に根本的な変化をもたらした。この新しい理解に勇気づけられて、ロマン主義者たちは、科学の進歩の原動力として機械論を推進してきた、それまでの思想の防波堤に襲いかかった。デカルトやニュートンからヒュームやカントまで、機械論は生きていない宇宙だけでなく生きている世界も理解するための基本的な思想であった。ロマン主義者たちは機械論の思想を有機体の思想で置き換え、自然を理解するための主要な指針としてそれを用いたのである。

 1780年から1820年までのあいだ、つまりゲーテの時代に、彼らは「共同で哲学」し「共同で詩作」するために集まった。そのなかの科学的なメンバーは、哲学者の関心や詩人の感覚を生命の実験的探究に持ち込んだ。ロマン主義者たちは、表現の芸術的様式と科学的様式の関係についての強力な思想を考案したのである。しかし、彼らの着想は、彼らの具体的な人格や、愛や憎しみに燃えた人間関係のなかから生まれたものである。私は初期のロマン主義思想家たちの哲学的・科学的思想を、それらが先人の知的遺産や直接の科学的経験、そして緊密な人間関係といったものから現れた通りに追ってきた。

 この本は、ニュー・クリティシズムの立場には与さず、彼らの人生がどのように彼らの仕事に影響したかを示していく。しかしそれだけではなく、彼らの仕事がどのように彼らの人生に影響したかも示していく。
 この本を通して、私はいくつものテーマを扱っていく。私のねらいは、いかにして自我の概念が、美的・倫理的考慮とともに、自然の生物学的表現に補完的な形を与えたのかを示すところにある。しかし、それらのテーマは、異なる個人や出来事に関わるので、この本のいくつかの部分でそれぞれに展開していく。

 この本のさまざまなテーマや議論は、エピローグで明確になる結論に向かって流れていく。そのエピローグでは、ロマン主義の思想がダーウィンの自然や進化の概念に形を与えた根本的な筋道を描く。ロマン主義的科学と呼ばれるものは何であれ、せいぜい19世紀科学思想の小さな支流と考えられる程度であったが、私の結論はまったく異なっていて、19世紀生物学の中心的な流れはロマン主義の運動に起源をもっていたというものである。