2020年5月16日

シェリングは最初の進化論者なのか? Richards, The Romantic Conception Of Life, 第8章

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. 289–306.


第8章「シェリングの動的進化主義」

 シェリングの観念論の核心にある有機的なもの(the organic)の概念は、ライル、キールマイヤー、ゲーテなどをシェリングの難解な哲学に惹きつける磁石の役割を果たした。シェリングのアイデア自体も、もともと彼ら(およびカント、フンボルト、ジョン・ブラウン、エラズマス・ダーウィンなど)の概念をヒントにして構築されたものであり、そのことは彼らにとって痛快であった。

 シェリングは1797年の夏に、哲学的文献に関するレビューのなかで、有機的なものという概念を簡潔に導入した。シェリングの主張では、人間の心は一連の表象を生み出していて、まさにその一続きを生み出す活動が自己を構成し、意識的な心を存在させる。人間の心は、このようにして自己を再生産する。自己再生産をするということは、人間の心は根本的に有機的な働きをするということである。我々の心がたえずそれ自身を有機化しようとするのであるから、客観的な世界(外界)もまた、有機化へと向かう普遍的な傾向をもつ。なまの(raw)物質を徐々に構造化していくのは、自然の普遍的な心である。有機化の形跡がほとんど見られないコケのようなものから、物質の束縛を打ち破ったように思われる最も貴い形態に至るまで、一つの同じ推進力が支配している。この推進力は、目的をもつ一つの同じ理念に従って動いており、一つの同じ原型、すなわち我々の心の純粋な形態を表現すべく無限に進んでいる。

 カントにとって有機性は、自然界を実際に支配している機械論的法則を研究者が発見するのを手助けする統制的概念でしかなかった。有機的なものの原理は、意図の概念を匿っているがゆえに、自然の構成的原理とするのは適さないとみなしたからである。一方、シェリングは、心をより深く掘り起こし、その土台になっている有機体の原理を発見した。この原理は、人間の心のみならず、現実世界をも生み出す働きをしている。そしてこの世界は生きていて、最も不活性に思える物質すらも生命をもって動いている。

 カントにとって、自然の必然性の世界と人間の自由の世界は両立不可能に見えながらも別々に存在するものであった。一方、シェリングは両者を立体的に結合させようとした。その際にシェリングは、ラマルクのともダーウィンのとも異なる、しかし彼らの歩みを容易にする進化論を生み出すことになったのである。


■ 生物学的な諸論文(291-292ページ)

 シェリングはレビューに続いて、生物学に関わる3本の論文を書いた。そこでは、有機的なものの概念が詳しく説明されている。第3章で述べたように、『世界霊について(Weltseele)』(1798)では、生物や非生物に関する最新の諸理論を調査し、外界の諸現象は極力(polar forces)に由来するという一般的原理がそれらの理論から帰納的に支持されると主張した。磁気や電気は、そのような正と負の力の例である。こうした反対の力は、究極的には自己意識の二つの根本的活動の表象として理解される。しかし、『自然哲学の体系の最初の草稿(Erster Entwurf)』(1799)では、演繹的な自然の体系を定式化しはじめ、実験的・理論的研究から帰納的に推論される原理は、演繹的な枠組みのなかに位置づけられるとした。この推定は、『草稿への序論(Einleitung)』(1799)においてきわめて明瞭になっており、ここでシェリングは「同一哲学」の最高地点に到達したといえる。


■ 同時代の生物学諸理論の批判的分析(292–294ページ)

 ライルは、生命力は他の自然力と同じように、特定の形式で結合した化学元素から生じるのだという機械論的理論を展開していた。しかしシェリングは、そのような結合が生まれること自体は説明できていないとして、ライルの説を否定した。シェリングはさらに、生命は動物性物質の性質や産物なのではなく、むしろその逆で動物性物質が生命の産物なのだと主張した。

 一方でブルーメンバッハは、他の自然力に加えて形成衝動の存在を仮定する生気論的理論を展開していた。シェリングは、そのような力を追加することは、科学の一般的体系化を損なうと考えていた。シェリングによれば、カントでさえ、『判断力批判』では生命力という安易なアイデアにもたれかかってしまっている。シェリングには、そのアイデアは、自然は自然法則に束縛されず自由に活動できると言ってしまっているように思われた。シェリングは、自然の組織化のプロセスは自然の原理によって説明することが可能なはずだと確信していた。

 シェリングの立場は、唯物論と生気論のある種の総合であった(この新しい総合を表現するのに、シェリングは形成衝動という言葉を用いたが、これは彼の立場がブルーメンバッハの立場と混同される結果を招いてしまった)。シェリングの考えでは、自然は(生命力の論者が言うように)単に法則なしに動くのでもないし、(化学的生理学者たちが言うように)単に法則に従って動くのでもない。自然は、法則性において無法則的であり、無法則性において法則的なのである。自然がこのような性質をもつのは、自然それ自体が究極的に有機的な自己意識に由来しており、それゆえに生物学だけでなく化学や物理学においても「有機体」が根本的な概念だからである。この条件下では、自然の活動の核心には自由があることになる。自然の活動は法則的であるが、その法則は自然の最も深い核心に由来しており、自然自身に自由に課せられた法則なのである。だから実は、カントの信奉者とみなされた人々の誰でもなく、シェリングだけが、本当の目的論的機械論(teleo-mechanism)による自然の理解を構築していたのである。


■ 動的に移り変わる力の均衡としての自然(294–298ページ)

 シェリングは生理学の実験的成果(フンボルトによる電気の研究など)に基づいて、植物や動物の世界のいたるところで均衡を保っている力を見出していた。力の均衡という考え方はキールマイヤーから得ていたが、シェリングは、この力を動的なものとして捉えていた。個体のなかでも、生物の世界全体のなかでも、力の動的な均衡が起こっている。さらには、生きていない物質でさえも、動的な緊張が保たれた力の均衡から生じている。ライルは生命現象を生きていない物質の性質に還元したが、シェリングは生きていない物質を不活発な生命の活動にまで持ち上げたのである。

 シェリングの自然哲学の根本的なアイデアは、自然は絶対者(the absolute)を達成しようと努めるということである。この衝動は、完全な表現を目指す自己意識の努力を反映している。それゆえ、自然は絶え間ない前進的な進化として捉えられることになる。シェリングがこの発展の過程を表現するのに選んだ言葉が「動的進化(dynamische Evolution)」であった。では、シェリングは、我々の言葉の意味で進化論者だったのだろうか?


■ 動的進化の理論(298–306ページ)

 1860~70年代にイェーナ大学の学芸学部長を務めたクーノ・フィッシャーは、友人のエルンスト・ヘッケルが、種の起源を考えたのはラマルクやダーウィンが最初だと言っていることについて戒めた。フィッシャーは、『世界霊について』の序文にある一節(298ページの引用部分)を指して、哲学的な観点から有機的発展の原理を明確に述べたのはシェリングが最初だと言った。この部分でシェリングは、長大な時間のなかでの有機体の漸進的発展について語っており、たしかに、自然の進化の概念を提示した最初の人物はシェリングであったように思われる。

 しかし、『世界霊について』から約1年後の『最初の草稿』においてシェリングは、何人かのナチュラリストが「すべての有機的構造の源を、一つの同じ原始的な有機的構造からの継続的で漸進的な発展として表現」しようとしていることについて否定的見解を述べた(299ページの引用部分)。この記述を根拠として、現代の歴史家たちは「シェリングはダーウィンの先駆者ではない」としてきた。しかし、そうだとするとシェリングはわずか1年のあいだに立場を完全に変えたということになり、大きな謎が残る。

 私の考えでは、シェリングは立場を変えていたわけではなかった。シェリングの念頭にあったのは、エラズマス・ダーウィンの『ズーノミア』である。『ズーノミア』第1巻のドイツ語訳はパート1とパート2に分けて出版されたが、シェリングは『世界霊について』を書いた時点ではパート1しか読んでおらず、その後でパート2を読んだようである。エラズマスはこのパート2にあたる部分で、神に生命と力を与えられた単純なフィラメントが、代を重ねるにつれて改良され発展してきたというアイデアを述べている。シェリングが問題だと感じて批判したのは、まさにこの、有機的構造の単一性を、形態の物理的伝達によって系図的に説明しようという着想であった。

 シェリングの考えでは、地球上には動的進化によっていくつもの異なる種が生じてきた。ただし、ここでいう「種」は、シェリングの包括的な種の概念であり、共通した性質を持っていることによって束ねられる還元的な種の概念とは異なる。シェリングの種は、その種の理念(ideal)の異なる側面を実現した変種の集合であり、たとえばハイエナも犬も狼も同じ種のなかに含まれるような概念である。そして、こうした種のそれぞれのなかで形態学的な変化があり、変種から別の変種が生まれるということが繰り返され、最終的にすべての変種によってその種のポテンシャルが現実化されることになる。種の出現それ自体も、時間とともにより高等な、より発展した形態の種が現れるようになる。そしてそれらの種もまた同様に、全体として、有機体の一般的理念を現実化していくことになる。無限の時間のなかで、種の集合体は、有機体それ自体の絶対的原型の完全な現実化に向かって進化していくのである。

 シェリングの考えでは、エラズマスのような理論では、有機的構造の単一性を説明できない。エラズマスのいうフィラメントのような、現実の原始的な有機体ひとつでは、有機体の原型を完全に具現化することはできないからである。シェリングの否定的見解は、このことに対して向けられていたのであった。シェリングの理論は、エラズマスやチャールズ・ダーウィンの進化論とは異なっているが、動的進化という進化の理論であったことは間違いない。

 シェリングはその後、この理論を発展させなかったが、かといって捨て去ったわけではなかった。実際、ゲーテへの手紙(1801年)のなかで、シェリングは自分の進化論がゲーテの形態学から生まれたものだと述べている。ゲーテもまた、種の転成の概念をシェリングに負っていると感じていた。