2020年9月26日

ゲーテの形態学形成過程 Richards, The Romantic Conception Of Life, 第11章第4節

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. 434–457.


形態学という科学(434457ページ)

 『植物のメタモルフォーゼ』を書いた頃から1790年代末にかけて、ゲーテは形態学という科学を構築し、その定義や方法、内容を固めた。同時代人たちは、ゲーテの理論をすぐに採用し、それは19世紀の生物学思想の一潮流になっていった。ヒューウェルによれば、ゲーテは、オーケン、メッケル、スピックス、ジョフロワ・サンティレール、キュヴィエといった解剖学者たちに広まっていった「型」の概念を最初に発展させた人物なのである。

 

■ 科学の方法(435440ページ)

 1790年代のゲーテは、形態学や光学に関係する方法論的問題に取り組んでいた。実験的・経験的科学に関する彼の一般的方法は、「客体と主体の仲介者としての実験」(1792)というエッセイによく示されている。このエッセイでゲーテは、人為的か自然的かにかかわらず、特定の条件のもとで繰り返すことができる観察をしようという意図が科学を特徴づけるのだと考えた(ゲーテは「Versuch」という言葉のなかに、プリズムがつくる色のスペクトルのような人為的現象の観察だけでなく、植物や動物の成長のような自然的現象の観察も含めている)。そして、科学的実践においては、他の観察者と協力し、経験的証拠を発表し、実験を何度も繰り返すことが重要なのだと論じた上で、ニュートンは少ない回数の実験だけを行い、元から自分の頭の中にあった理論を発表してしまったと批判している。ゲーテによれば、高いレベルの包括的な法則を発見するには、多くの経験的証拠を集め、それらを低いレベルから総合していくことが必要なのだという。一方、芸術的実践における美徳(想像力の発揮、人を楽しませようという願望、孤独な努力、唯一無二なものの作製、完成品だけを見せることなど)は、科学的実践においては悪徳になるのだという。

 以上からわかるように、このエッセイの時点では、カント的な発想はまだ支配的になっておらず、むしろスピノザ的・反ニュートン的な精神が支配的であった。ゲーテがカントの『判断力批判』のメッセージ(あるいはそのロマン主義的解釈)を重要視して、科学と芸術の区別を弱めたのは、シラーやシェリングとの交流を経てからのことである。それよりも、自然の過程は精神的な対応物を持っていて、それは注意深い実験的手順によって認識することができ、高いレベルの認識によって捉えることができるという、スピノザの一元論の影響がこの時点では強かったのである。


■ 動物原型の理論へと向かういくつかのエッセイ(440453ページ)

 『植物のメタモルフォーゼ』の出版後、ゲーテは動物に関心を向けた。彼は、後に「原型」と呼ぶことになる動的な型の概念を記述の土台にしようとしたが、それは比較動物学に役立つ単純なパターンというよりも、自然に内在し生物を存在させ成長させる動的な力になることを徐々に認識した。1790年から1797年にかけて、ゲーテはこの概念を洗練させるエッセイを5本書いている。

 

「動物の形態についてのエッセイ」(1790) 442–443ページ

 脊椎動物の骨格に関心を向けたエッセイ。ここでゲーテは、特定の種に焦点を絞る傾向があった同時代の他の解剖学者たちとも、すべての脊椎動物に共通する要素を抽出しようとする後のオーウェンらとも異なるアプローチをとった。さまざまな種類の脊椎動物によって示されているすべての部分を含む包括的な形態が原型だと考えたのである。この原型は、さまざまな種の観察と比較を通して得られるが、外的な眼では見ることができず、内的な眼によってのみ見ることができるとされた。しかし、ゲーテはこのエッセイを満足できる形に仕上げることができず、そのまま光学へと関心を移していった。

 

「骨の一般理論についてのエッセイ」(1794) 443–444ページ

 光学研究に対して人々から否定的な評価を受けたことに失望したゲーテは、再び脊椎動物の骨格の研究を始めた。このエッセイでは、顎間骨から始まり、頭の骨をひとつひとつ詳細に記述している。また、顎間骨から始める理由を説明する際、顎間骨がその動物の生態を反映しており、またその動物の全体の構造も反映しているという、のちのキュヴィエに通じる議論を展開している。

 

「比較の一般理論についてのエッセイ」(1794) 444–445ページ

 このエッセイには、カントの『判断力批判』やシラーとの議論の影響が見られる。生物は内的な目的論を示しているが、だからといって生物を外的な目的論(宇宙論的な意味での目的因)の一要素とみなすべきではないという、カントの提案の一側面をゲーテは強調する。そして、研究者は動植物の構造について、人間による使用や神によるメッセージのためにデザインされたと考えるのではなく、その生物全体の機能的組織体が存在理由になっていると考えるべきなのだと訴える。生物と環境の関係に意図を見出すのは間違いであり、環境は生物に影響を与え、その形態を特定の要求に対して順応させることによって、外的環境に対しての合目的性を与えるのである。一方で、生物には一般的な構造のパターンを与える「内的核」という力もあって、この内的なパターンを外的な力が個別化する。たとえば、アザラシは水の環境によって形成された体をしているが、その骨格は陸上の哺乳類と同じ一般的パターンを示している。この外的な環境の力を、ゲーテはラマルクや若い頃のダーウィンのように、直接的な効果と考えた。ゲーテは神に関わる目的論を自然の因果で置き換えたのである(もっとも、その因果が目的をもつ性質を保持してはいたが)。

 

「骨学に基づく比較解剖学への概括的序論の第一草案」(1795) 446–449ページ

 1794年のクリスマスの頃にイェーナにやって来たフンボルト兄弟と話したことが、ゲーテを再び形態学研究へと駆り立てた。この草案では、基本的に前の年に書いたことを繰り返して述べているが、原型というアイデア自体が検証されるべき仮説であるということが強調されるようになった。また、「内的核」に相当する概念として「形成衝動」が導入された。これはブルーメンバッハがつくった言葉であるが、ゲーテはフンボルトを通して知った可能性が高い。

 

「骨学に基づく比較解剖学への一般的序論の第一草案の最初の3章についての講義」(1795) 449–453ページ

 第一草案の最初の2章を書き直したものと、新しいアイデアを組み込んだ第3節から構成されている。実際に講演に用いられたことはないようである。

 第2節では原型理論のカント的な色彩を強めたが、ここでゲーテはカントの哲学を自分流にアレンジしている。カントにとって、原型のような目的論的概念は統制的(実質的に仮説的)であって、外的な自然を構成するものではなかった。真正な科学は機械論的でなくてはならないので、生物の概念は真正な科学では機能しないのである。ところがゲーテは、原型は自然が用いているものであって、統制的・仮説的概念ではないとする。生産的なアイデアは自然に宿っているというスピノザ主義がゲーテのなかに残っていて、新しいカント主義へと転回させたのである。

 第3節では、成長の種類によって原型を区別する新しい議論を展開している。ここでゲーテは、有機体と非有機体を区別した上で、葉という同一の器官が時間とともにメタモルフォーゼしていく植物(継時的メタモルフォーゼが支配的)と、さまざまな器官が同時に形成される動物(同時的メタモルフォーゼが支配的)を区別した。これは、植物は一部分から全体を生み出すことができるが動物はできないということを意味しており、植物は動物のような個体ではなく集合体であるとみなされた。ゲーテは、椎骨が脊椎動物の骨格全体のプランを基礎づけているとは主張しておらず、その点で、のちにすべての骨が椎骨の変形だと論じて植物と動物の区別を崩壊させたオーケンらとは異なる。

 

■ 科学としての形態学(453456ページ)

 形態学という言葉を出版物に載せた最初の人物はブルダッハ(1800年)であるが、ゲーテは同じ言葉を少なくとも4年以上前に生み出していた。ゲーテは形態学を、全体も部分も、逸脱も可能性も含めた形態の科学だと考えていた。また、成長の力についての学であるとも考えていた。


■ ゲーテの形態学的考察に関するまとめ(456457ページ)

 ゲーテは1797年までに原型に関する理論を定式化していたが、その成果が公になったのは、1817年から1824年にかけて出版された『形態学のために』においてであった。

 ゲーテの科学は良い科学だったのだろうか? 筆者は、良い科学とは、不変の真実の発見によってではなく、経験的に裏付けられた実りあるアイデアによって特徴づけられるものであり、その意味でゲーテの科学は良い科学であったと考える。もしゲーテが多方面で活躍せず科学だけに専念していたら、同時代の批評家たちから拒絶されることもなかったのではないだろうか。ゲーテの詩の才能は、彼の科学に対してかえって疑いを招いてしまったように思われるのである。

 さて、ゲーテはカントの認識論の基本を受け入れていたにもかかわらず、どうして自然が実際に用いているのと同じ原型についてのアイデアを持つことができると考えていたのだろうか? 次の節ではこの問題に答えたい。