2020年12月20日

ダーウィンはロマン主義者ではない Ruse, “The Romantic Conception of Robert J. Richards”

「ロバート・J・リチャーズのロマン主義的概念」
Michael Ruse, “The Romantic Conception of Robert J. Richards,” Journal of the History of Biology 37 (2004): 3–23.


 ロバート・J・リチャーズは、今日における最も立派で創造的で刺激的な、進化生物学の歴史家である。彼の『生命のロマン主義的概念――ゲーテの時代における科学と哲学』は、ドイツ思想と生物学のこれまでに知られていなかった関係を明らかにした。しかし、ダーウィンの進化論の起源は19世紀の初めに栄えたドイツのロマン主義的生物学にあるという彼の主張は完全に間違っており、ダーウィンは典型的なイングランド人だったという伝統的な解釈のほうが正しい。本論文ではそのことを論じる。 


■ ロマン主義者ダーウィン(4–9ページ)

 まずはリチャーズの主張を見ていこう。リチャーズが、ダーウィンは「ロマン主義者」だったと言うのはどういう意味か? まず、自然は生命に富んでいて、すべてが全体にとっての部分となっており、すべてが共通の目標に向かっている、超有機体のようなものだという考え方である。ロマン主義者たちは、存在するもの全体がひとつのものであり、神のあらわれであると考えたスピノザの哲学を好んだ。世界がひとつの生き物ならば、そのなかにはつながりや深い調和が存在するはずである。そして、すべては根底にある諸観念の上に成り立っているので、世界には同じパターンが繰り返されている。だから、ロマン主義者にとって生物や無生物の重要な特徴は、そのデザインが実利にかなっていることではなく、相同関係を示していることであった。また、生命は突き上げられるように頂上へと向かうものであって、人間という頂へと発展する。個体の発生は生物の発展史(それが物理的に連続した過程であるとは限らないが)の一場面となっており、両者のあいだには平行関係が存在する。ロマン主義者の立場は反還元主義的で、生命をメカニズムや機械とみなす考え方とは無縁である。
 リチャーズによれば、ダーウィンはフンボルトやリチャード・オーウェンなどから影響を受け、ロマン主義の立場に到達していたという。たしかに『ビーグル号航海記』には、自然はそれ自体が生きていて内在的な価値を持っているという見方が表れており、文体もフンボルトの著作をモデルとして書かれていることは間違いない。だがリチャーズは、有名な最終段落を引用しながら、『種の起源』にもロマン主義の思想があらわれていると論じる。さらに、ダーウィンにとって選択は機械論的な力ではなく、ロマン主義者にとっての神である自然それ自体の、目標へと向かう働きなのだという。原型の理論も『種の起源』に深い影響を与えていて、ダーウィンが生物の祖先は複数の種類が存在すると考えていたのはその証拠である。そして、人間の道徳性は利己主義に由来するという功利主義者たちの意見に反対し、群選択によって進化した利他性に駆り立てられて利他的行動をするのだと主張した点でも、ダーウィンはロマン主義的であったという。 


■ 中流階級のイングランド人ダーウィン(9–13ページ) 

 これに対立する標準的な立場は、リチャーズの主張をまるごと否定しようとするものではない。ダーウィンはさまざまな方面からの影響を受けて、それらを万華鏡が映す像のようにまとめ上げた人物である。たしかに、ダーウィンの思考にはロマン主義的な要素もある。しかしながら、ダーウィンの思考には他の要素も多くあり、真の功績をもたらしたのはイギリス的な要素であった。
 ダーウィンの功績を二つに分けると、第一は進化という事実(すべての生物は自然的過程によって少数の形態から発展してきた)であり、第二は進化の原因、すなわち生存闘争によって引き起こされる自然選択である。
 前者に関していえば、ダーウィンは祖父エラズマスの『ズーノミア』やエディンバラの解剖学者ロバート・グラントとの交流から、進化という考えを知っていた。ビーグル号での航海中には、ライエルの『地質学原理』第2巻を通して、ラマルクの進化論についての知識を得ていた。ダーウィンは英国教会の有神論者として育てられたが、おそらくはエラズマスやライエルの影響もあって、やがて理神論者に転向した。妻となったエマを含むダーウィンの母方の家族も、ユニテリアン派であり理神論者であった。
 後者に関していえば、ダーウィンはニュートン主義者になろうとしていたのであって、ジョン・ハーシェルやヒューウェルを通して、自然現象は真の原因であるvera causaによって説明されなければならないという認識を得ていた。人為選択に注目できたことはイギリスにおける農業革命と関係していたし、生存闘争の概念はマルサスから得ていた。
 どちらについても、重要な役割を果たしていたのはイギリスに由来する要素だったのである。 


■ 決着をつける(14–22ページ)

 二つの立場のうち、ロマン主義説ではなくイギリス説が正しいといえる理由はたくさんある。
 第一に、ダーウィンの最大の功績であるところの、適応を説明するメカニズムとしての自然選択説の由来は、ロマン主義説では説明できない。ゲーテ、フンボルト、オーウェンなどのダーウィン以前のロマン主義者は自然選択説に関係していないし、ヘッケルのようなダーウィン以降のロマン主義者も自然選択説との関わりは薄い。
 第二に、ダーウィンの世界は奇跡を起こすキリスト教の神の世界ではなく、ロマン主義者の世界だったというリチャーズの主張について。この主張は正しいが、ダーウィンの世界は同時に、イギリス的な理神論者の世界でもあった。
 第三に、ダーウィンの文体は、彼が読んでいたイギリスの自然神学者の文体によく似ており、ロマン主義を持ち出す必要はない。
 第四に、ダーウィンは機械論と無縁だったとリチャーズはいうが、『ランの受粉』によく表れているように、ダーウィンは生物界を、目的を持ってデザインされた機械のように見ていた。これはウィリアム・ペイリーの視点に近い。
 第五に、相同関係について。ダーウィンがオーウェンを通して、ロマン主義思想の相同関係に対する注目に影響を受けたというのは正しい。しかし、エラズマス・ダーウィンやジョフロア・サン=ティレールからの影響もあり、ドイツからだけの影響とはいえない。その上、ダーウィンにとって相同関係は進化の結果として説明されるものであって、議論の出発点ではなかった。
 第六に、発生学について。リチャーズが、このアイデアのロマン主義的起源と、ダーウィンにとっての重要性に注意を向けたことは正しい。しかし、『種の起源』における発生学的説明は、むしろイギリスの動物飼育者たちとの交流に多くを負っている。
 第七に、進歩について。リチャーズが、ダーウィンは進歩主義者であったことを強調しているのは称賛に値する。しかし、進歩主義は祖父エラズマスをはじめ、ダーウィンの家族にも共有されていた。そしてダーウィンは、生物が必然的に進歩するというような考え方からは距離を置こうとしていた。『種の起源』の第3版で本格的に進歩の問題に取り組んだときには、自然選択が器官の分化や専門化が進んだ生物に有利に働くという理屈で進歩を説明した。
 第八に、ロマン主義的な生命観に特徴的な、器官の完全化という観念について。リチャーズは、ダーウィンが眼のような器官の完全性を信じていたと言うが、実際のところ、『種の起源』の頃にはすでに、眼でさえも完全ではないという相対主義的な考えに移行していた。
 第九に、生命の起源について。もしダーウィンが本当にいくつかの基本的な原型があると考えていたのなら、他の誰にも劣らずキュヴィエが影響していたはずだ。また、後にダーウィンは手紙のなかで、最初の生命を出現させた物理学的・化学的過程について推測しているが、こうした議論はゲーテらに由来しない。
 第十に、人間について。ダーウィンは『人間の由来』で、人間の特徴をつくり出した主要なメカニズムは性選択だと論じており、これは個体選択の典型であって、全体論的なメカニズムではない。リチャーズの説が正しければ、ダーウィンは世界には価値が染み渡っていると考えていたはずだが、実際にはダーウィンは自然から単純に道徳性を演繹しなかった。また、ダーウィンは個体選択が標準であると考えて、社会主義者として群選択を好んだウォレスと論争していた。そして、ダーウィンは倫理が道徳的情操によって決定されると考えていた点で18世紀のイギリス的伝統に従っており、もしダーウィンが功利主義に反対していたとしても、イギリスの道徳哲学による影響を先に考えるべきである。
 以上、十点も挙げれば十分だろう。ダーウィンがイギリスの英雄たちのヴァルハラであるウェストミンスター寺院に埋葬されたのは、なんとも適切なことではないか。