2019年10月27日

シェリングの自然哲学 Richards, The Romantic Conception Of Life, 第3章第2節

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. 128–146.


第3章「シェリング――自然の詩」

第2節 自然哲学


● 自然哲学の基本的なもくろみ(128129ページ)

 シェリングは、1797年から19世紀はじめの数年間までのあいだ、自分の「自然哲学」を経験的な自然科学の代替物と考えたことはなかった。彼が自然哲学について書いた文章は、当時における最新の実験的研究への参照でいっぱいである。彼は自然哲学を、経験的発見からつくられた法則を体系化し、その体系をより高いレベルのア・プリオリな諸原理に基づかせるための枠組みとみなしていた。この点でシェリングの自然哲学には、物理学の基本法則の由来を先験的なカテゴリーに求めたカントに近い性質がある。しかし、シェリングは物理学の基本法則だけでなく、後期のカントが真正な科学から除外した化学・生物学・医学の法則をも、ア・プリオリな諸原理から引き出そうとした点で、カントの先に進もうとしたのである。

 19世紀中頃になると、経験科学者たちは自然哲学の一部の系統に対して敵対的になっていった。たとえばシュライデン(1804-1881)は、シェリングやヘーゲルがドグマ的で思索的なやり方で自然の事実や法則を演繹だけによって確立しようとした(と彼は考えた)ことを批判した。シュライデンにとって、自然科学の基礎は帰納的で実験的な事実の確定によって形作られるものだったのだ。フンボルト(1769-1859)は、はじめシェリングの自然哲学に熱中していたが、後にはシェリングの門下生にあたるネース・フォン・エーゼンベック(1776-1858)やカール・グスタフ・カルス(1789-1869)に対して用心深くなっていった。しかし、シェリング本人とは良好な友人関係を保ち続けていた。


● 『自然哲学の諸考察』(129137ページ)

 自然哲学に関するシェリングの最初の主要な業績『自然哲学の諸考察』(1797)は、第一部で、燃焼、光、気体、電気、磁気などの諸現象に関する最新の研究を検討している。シェリングはこうした帰納的な分析が、様々な自然現象は引力と斥力という二つの根源的な力の変形とみなせるという自らの物理学的仮説を支持するはずだと信じていた。第二部では、シェリングには二つのねらいがあった。一つ目は、外部からのみ力を受ける、小さくて不可分で受動的な原子というニュートン主義的な物質を仮定する理論では、自然科学の特別な現象を説明できないということを示すこと。二つ目は、ニュートン主義的なものよりも有望な、究極的には超越論的観念論によって正当化される見方をつくり出すということであった。

 シェリングは、引力と斥力の動的な平衡としての物質という概念を、カントに倣って先験的に演繹しようとした。彼の議論によると、我々が物体を経験することができるのは、我々に働く力の作用によってであって、力をもたない物体などというものは経験することができない。力をもたない物体は「物自体」であって、そのような受動的物質を想定する合理的な理由はない。受動的物質ではなく、むしろ、経験を説明するのに必要な力だけを想定するほうがいい。物質を引力と斥力の平衡から成るものとすれば、電気や磁気、化学的親和性などといった現象は、力だけから引き出すことができる。ニュートン主義的な機械論の物理学・化学は、同質な原子の外的関係によって異なる種類の物質を構成しなければならないという難題を抱えている。その一方で、力に基づく動的な化学は、引力と斥力の特定の不均衡の産物として、様々な物質を説明できる。

 シェリングは一方で、物質世界の経験可能性は物自体などという謎めいたものに依存しないというフィヒテ的な立場もとった。シェリングの考えでは、自然界も経験的な自我も同じように、心の二つの力の相互作用によって生じる。一つは外へ向かって拡大していく創造的で無限な力(無限的自我)であり、もう一つは制限し造形する力(絶対的自我)である。後者は前者に制限を課し、経験的自我はこの制限を感じ取る。この制限が、「非我」と解釈されるものである。つまり、感覚的直観それ自体が、直観される物質をつくるのである。このような議論によって、物理世界の経験は無限なる心のなかに封印された。自然のシステムは我々の心のシステムでもあるということになったのである。

 自然哲学の課題は、自然の様々な現象や関係がいかにしてその源である自我から生じるかを示すことであった。しかし、絶対的自我は自然だけでなく有限的な自己をも生むものである。それどころか、自然と経験的自己は、いわば相互に依存して発展するのである。というのは、外界を意識することで自己の意識が生じるからであり、現実世界の存在への信念は自己の存在への信念とともに発展するものだからである。このことから、二つの相互補完的な側面をもつ確信が支持される。第一に、自然は自分と同一である以上、自然の研究者は自然を理解し尽くすことができるはずだということ。第二に、自然は自己へといたる道を提供するだろうということ。深い森や異国の地に入っていくことが、自己の発見につながるだろうということである。

 『自然哲学の諸考察』の序文でシェリングは、西洋哲学の歴史を人間の精神的発展の歴史として解釈した。その歴史のなかで生じた心と物質の分岐、すなわち絶対的自我の断絶を修復するのが、自分の哲学の役目だと彼は考えた。

 シェリングは、カント主義者たちが物自体のせいにして済ませたような因果関係も、絶対的自我の自由な決定であることを示したかった。しかし、自然のさまざまな事実、たとえば花が受粉に昆虫を必要とすることや、哺乳類が血を浄化するのに腎臓を必要とすることなども、自我によって決まるのだろうか。シェリングの哲学に立ちはだかったのは、自然の究極的な事実性だったのである。


● 心と自然の有機体(137139ページ)

 シェリングは次に『世界霊について』(1798)で、有機体の概念に基づく自然哲学を展開した。カントは、有機体はその各部分が実現する目的(たとえば、心臓は腎臓に血を送り、腎臓は血液を浄化する)という観点から理解できるとしていた。また、各部分の機能は、全体のデザインという観点から理解されなければならないとしていた。シェリングはこれを受けて、このような目的論的構造が生物を特徴づけていることを論じ、フンボルト、ブルーメンバッハ、キールマイアー、ライルがいずれも生物に関して目的論的構造の概念に頼っていることを指摘した。さらに、ラヴォアジエらをはじめとした物理学や化学の最近の研究は、非生物の世界を理解するのにも有機体の概念が必要であることを示唆していると論じた。カントは、有機体的構造は知性によるものだとした上で、発見的手法として神の働きを想定していたが、シェリングは、そのような有機体的構造が自然に遍在していることは、心の有機体的なあり方によってのみ説明できると考えた。 


● 実験科学のア・プリオリな性質(140–145ページ)

 シェリングは1799年に発表した『自然哲学の体系の最初の構想』と『自然哲学の体系構想への序論』において、超越論哲学を最上位に置いたフィヒテの考え方をはっきりと捨て去り、「同一哲学」へと向かった。いまやシェリングは、自然哲学が独立した学問として確立できることを示したいと考えるようになった。そのために彼は、自然哲学は経験科学に取って代わるものではないこと、自然科学の核心は実験であること、世界に関するあらゆる知識は初めに経験から得るしかないことを確認した。

 それでもなお、シェリングは、経験的に獲得された知識を演繹的な体系に投げ入れることができると信じていた。これは、我々の知識が有機的で体系的な総体(フンボルトが後に採用する言葉でいえば「コスモス」)を見せる世界を反映するという想定のもとで可能となる。彼は、自然哲学によって自然科学が、神学や超越論哲学から独立した客観的かつ自律的な学問になることを示そうとした。

 自然哲学が自律的に確立されるということは、世界で起きるあらゆることは自然の力によって説明されなければならないということである。そこでシェリングは、自我を支配する原理であったものを、自然の根本的構造に作り変えた。以前に彼は、絶対的自我と無限的自我を区別したが、これを自然に移し替えて、生産力としての自然と生産物としての自然という、非我の二つの面を区別したのである。前者は自然の主体的な面であり、後者は客体的な面である。こうしてシェリングは、自然の根本的な力を、自我の相反する動きからではなく、自然それ自体の弁証法的な過程から生じるものとして扱うようになったのである。

 しかし、自然哲学に対するこのような新しいアプローチのなかですら、シェリングは超越論的議論に頼ることなしには自然の原理を確立できなかった。自然の原理は、我々の意識的経験の状態であるということが仮定されたのである。彼は、自然哲学が独立性を失わないように、自我に関する体系的な議論を避けながらも、その一方で、超越論的哲学が提供する究極的土台に言及しないわけにはいかなかった。彼はまだ、自然の概念を形成する過程のなかでもがいていたのである。

 シェリングは、自然の無限の生産力を、unendliche Evolutionと表現した。Evolutionという単語は、発生学から借用されたもので、前成説を意味していた。彼は、生物の本質的なイデアあるいは原型はすでに存在していて、その経験的現実化が時間的発展を要求すると考えたのである。シェリングは現実の進化を提案していたし、種の変化にこの単語を適用した最初の論者であったように思われる。11章で見るように、シェリングとゲーテは進化について共通の考えをもっていた。


● 自然哲学の個人的要因(145–146ページ)

 シェリングの自然哲学の源は、カントやスピノザやフィヒテに求めることもできるし、実験的な自然科学研究に求めることもできる。彼が、自然の生産力が反対の制限する力を克服して実現に至ることに関連して動物の性について書いた箇所は、シュレーゲル兄弟らのサークルに参加したことの影響を受けている可能性がある。彼は当初、性を矛盾と混乱に満ちたものと捉えていたが、後により肯定的に見るようになった。このことはカロリーネの存在と関係していたのではないか。