2022年6月25日

四つ目の革命 Rudwick, Earth’s Deep History, Introduction

Martin J. S. Rudwick, Earth’s Deep History: How It Was Discovered and Why It Matters (Chicago: University of Chicago Press, 2014), 1–8.


イントロダクション

 かつてフロイトは、三つの大きな革命が自然のなかの人間の位置に関する我々の感覚を変容させてきたと主張した。地球を宇宙の中心から追いやったコペルニクスの革命、人間を神の特別な被造物から単なる類人猿に降格させたとされるダーウィンの革命、そして無意識の深みを暴くことによって理性的存在としての人間という感覚を転覆させたフロイト自身の革命である。
 しかし、私の友人である故スティーヴン・ジェイ・グールドが指摘したように、このリストにはこれら三つと同じぐらいの重要性を持つ四つ目の革命が漏れ落ちている。それは、他の三つのように一人の有名人に紐づけることは難しいが、コペルニクスの革命が空間のスケールを大幅に拡大させたのと同じように、地球のタイムスケール、ひいては宇宙のタイムスケールを大幅に拡大させた革命である。それ以前には、西洋の多くの人々は、この世界がほんの数千年前に始まったということを当たり前に信じていた。この革命の後では、地球のタイムスケールが少なくとも数百万年に上るということが同じくらい当たり前になった。

 しかし、このタイムスケールの拡大をあまりに強調することは、この革命のさらに二つの重要な特徴をぼやけさせてしまう。
 第一に、人類の位置の根本的な変化である。伝統的な理解における「若い地球」は、ほぼ完全に人間のいる地球であった。アダムから将来の終末に至るまで、人間のドラマが繰り広げられるのである。それに対して、地質学者たちによって発見された「古い地球」は、ほとんど人間のいない地球となった。
 第二に、自然がそれ自体の歴史を持っているということが明らかになった。地球に人間のいない時代が、人間の歴史と同じぐらいに波瀾万丈であり「歴史」と呼ぶに十分な出来事の連続であったことがわかったのである。
よって本書は、悠久なる時間(deep time)の発見というよりも、地球の悠久なる歴史(Earth’s deep history)とそのなかの人間の位置の再構成について解説した本である。

 四つ目の革命は、主に二つの理由で無視されてきた。
 第一に、ダーウィンの進化論の序曲にすぎないと捉えられてきたことである。たしかに、地球の悠久なる歴史の認識は生物の多様性の説明に必要であるが、四つ目の革命は地球上のすべてのものに関わっており、動植物だけでなく岩石や鉱物、山や火山や地震、大陸や海洋や大気も含むのであって、独立の革命とみなすに値する。
 第二に、宗教の対する科学の勝利のエピソードのひとつにすぎないとみなされてきたことである。しかし、歴史家たちは、科学と宗教の永続的な対立というステレオタイプをすでに放棄している。本書では、地球の悠久なる歴史という新しく現れた感覚が、それよりずっと短い歴史の古い概念と、非常に興味深い仕方で関連していたことを示したい。「若い地球」を復活させようとする現代の創造論者たちは、物語のクライマックスではなく奇異な余興にすぎない。
 四つ目の革命の核心は自然それ自体が歴史を持つことの認識であるということを認めれば、タイムスケールの量的な拡大は二次的な問題になる。より重要なのは、自然の歴史性という感覚の起源である。自然の歴史のモデルになったのは人間の歴史であり、それは惑星の運行などと違って予測不能であり偶然的であると認識されている。この歴史性の感覚が自然の領域に移入され、新しい自然の理解を生み出したのである。17~19世紀の西洋文化において自然の歴史性の主な源となったのは、ユダヤ・キリスト教の聖書に包含された歴史の感覚であった。聖書のテクストは地球の悠久なる歴史の発見を妨害したのではなく、むしろ促進した(読者を前適応させた)のである。

 地球の悠久なる歴史の発見は、我々に対してこの世界に関する広汎な示唆を与えた点で重要である。それまで自然の研究者たちは、不変の自然法則を解明すればするほど人間が自然をコントロールできるようになると考えていた。しかし、地球は、初期条件と不変の法則が与えられれば過去から未来までを完全に決定できるような仕方でプログラムされていなかった。地球の悠久なる歴史は自然の法則をトップダウンで適用しても再構成できず、歴史的証拠をボトムアップで集めることによってしか再構成できない。地球の悠久なる歴史は天体の運行のように正確に予測できるものではなく、人間の歴史のような予測不能な偶然性を持つことが明らかになった。この偶然性は、地球の将来における人間の役割をめぐる現在の論争においても重要である。
 自然が固有の歴史性を持つという感覚を最初に発展させたのは地質学であった。それを、もともと地質学者であったダーウィンをはじめとする生物学者たちや、天文学者たちが後から共有するようになったのである。それゆえ、この本の物語はひとつの科学をはるかに超える重要性を持つ。

 この本は私自身の研究だけでなく、多くの国の多くの歴史家による最近の研究に基づいている。ポピュラーサイエンスの本やテレビの科学番組、それに自分たちの科学の歴史について語る科学者たちは、こうした最近の研究をあまりにも無視して、誰が「~~の父」であるなどといったような使い古された神話に留まってきた。
 この本を書くにあたって詳細を削ぎ落とさなければならなかった事柄はたくさんある。本書はまた、ヨーロッパの科学者(と自分たち自身を呼ぶようになる人々)に焦点を絞っている。男性が主な登場人物になっているのは、かつての歴史的現実を反映している。

フンボルトの庭園論 Humboldt, Kosmos, vol. 2., pp. 95-103

Alexander von Humboldt, Kosmos: Entwurf einer physischen Weltbeschreibung, Zweiter Band (Stuttgart, Cotta: 1845-62), 95-103.

フンボルト『コスモス』第2巻、パート1

III 熱帯植物の栽培――植物の外見の対照や組み合わせ――植物の外観と性質によって誘発される印象

 版画による生産数の増加や最近の石版画の進歩があるとはいえ、風景画が心にもたらす影響は、温室や庭園にある外来の植物の光景がもたらす影響ほど力強くはない。私は若い頃にベルリンの植物園で巨大なリュウケツジュやヤシを目にして、遠く離れた地への旅を切望する想いを植え付けられた。
 風景画は大きさや形態を魔法のように操ることができるので、実際に植物を栽培して配置するよりも、より豊かで完全な自然のイメージを提供することができる。農園や庭園では、絵画のように海や陸の壮大な現象を凝縮することはできない。しかし、その代わりに、現実が細部のいたるところで感覚に働きかけてくる。それによって、完璧な絵画以上の幻想が与えられるのである。ただし、栽培することによって、本来の自然の性質の一部は覆い隠されてしまう。
 植物の形や対照的構成は自然研究の対象であるだけでなく、造園にとっても非常に重要な意味を持つ。歴史的には、造園は中央アジアと南アジアに起源を持つ。イランでもデロス島でもセイロンでも、樹木は自然崇拝の対象となった。
 東アジアの国々でも、何かしらの植物が聖なる対象とみなされて特別な注意が払われており、庭園には自然に対する想いが最も強く多様に表れている。中国の庭園はイギリス式庭園に近いものだったようだ。古代の文筆家Lieu-tscheu[柳宗元のこと?]は、我々が庭に何を求めるのかを考察している。前世紀半ばに清の乾隆帝が奉天と祖先の墓を称えて詠んだ詩には、自由な自然に対する感嘆が表現されている。司馬光も1086年頃に、庭園に関する詩を作っていた。当時ドイツでは、詩は粗暴な聖職者の手に握られており、祖国の言葉で作られることもなかった。
 その500年前から、中国、東インド、日本の人々は多様な植物の形に親しんでいた。これには仏教が関係している。寺や僧院、墓地は庭園に囲まれ、外来の植物で装飾されていた。中国、朝鮮、日本には早くからインド産の植物が普及していた。シーボルトは、遠く離れた仏教国で植物相の混合が見られることに注意を促した最初の人物である。
 ヨーロッパの文明化の最も貴重な果実の一つは、外来の植物の栽培と展示、風景画、文章の力などによって、普段触れなくなった自然や異国の自然に接することがどこでもできるようになったということであろう。