2023年6月20日

現代の創造論者たちを切り離す Rudwick, Earth’s Deep History, Appendix

Martin J. S. Rudwick, Earth’s Deep History: How It Was Discovered and Why It Matters (Chicago: University of Chicago Press, 2014), 309–315.

※ 現代の世界に進化論や地質学を攻撃する創造論的な立場の人々がいることは、宗教と科学の対立という伝統的な科学史理解の構図を乗り越えようとするラドウィックにとってのアキレス腱である。ラドウィックは、現代の創造論を伝統的な聖書解釈や19世紀までの宗教的な地質学者たちから切り離すことで、自説への反論を予め封じようとしていると考えられる。


補遺「理解力の足りない創造論者たち」(309~315ページ)

① 歴史をたどるこの本では、現在の科学的知識について要約を提供するようなことはしてこなかった。しかし、現在の状況には歴史的な見解を必要とするひとつの奇妙な特徴があるので、ここに付録として記述しておくことにする。すなわち、ここ数十年間のアメリカにおける「創造論」として知られる運動のことである。創造論は、今では科学者と呼ばれている人々が過去3~4世紀のあいだに練り上げてきた地球と生命の歴史に関する解釈を、ほとんどすべての面で拒否している。進化と、進化論の含意とみなされている事柄を拒否しているだけでなく、地球についての科学が18世紀に脱した「若い地球」のアイデアを再発明している。

② この本で見てきたように、17世紀の年代学者たちは世界史の年表を構築するための情報源のひとつとして聖書を用いてきたし、創世記にある二つの創造物語はアダムやその子孫に対して神が直接的に明かした事柄の記録なのだと考えていた。しかし、聖書の他の部分は、神から霊感を受けてはいるものの、人間によって書かれた多種多様なテキストの集積なのだと認識されていた。教父時代から、聖書を解釈する際にはいろいろなレベルがあることが認められており、文字通りに理解する解釈はあくまでもそのひとつにすぎなかった。また、「適応の原理」は、聖書に記された言葉が、そのテキストのもともとの聴衆の能力に適応したものであることを認めていた。より後の時代になると、聖書の主な目的は受肉や贖罪といった概念の土台となる歴史的出来事を記すことであって、科学を教えることではなかったということが認められた。

③ 聖書解釈学の長い伝統に照らせば、19世紀末から20世紀初頭にアメリカのプロテスタントで起こった聖書直解主義の再興は、キリスト教世界にとって驚きの出来事であった。特に、そこで提起された聖書の絶対的「無誤性」は、びっくりするような新機軸である。しかし、この新しい直解主義は、あらゆる超越性を断念しキリスト教を単なる「社会福音」に過ぎないものに還元してしまった超自由主義の運動に対する反動として理解できる。「原理主義」の語源となった小冊子『ザ・ファンダメンタルズ』(1910–15)は、超自由主義神学に対抗してキリスト教の基本的教義を述べ直したものであり、科学的な考えを標的としていたわけではなかった。だが、第一次世界大戦後に政治家のウィリアム・ジェニングス・ブライアンが率いた運動は、戦争の残虐性や戦後の社会問題を進化論の無神論的含意のせいにした。

④ 以上がテネシー州で1925年に行われたスコープス裁判の背景となった。ブライアンの姿勢は、その後の数十年にわたってアメリカのプロテスタントの原理主義運動を鼓吹した。この潮流の背後には、南の北に対する敵意、すでに根をおろしたプロテスタントの外来のカトリックに対する敵意、保守的な田舎社会の都市文化に対する敵意、教育水準が高くない人々のエリートに対する敵意といった、アメリカに特有の要因があった。さらに、公教育で何が教えられるのかという問題にとって決定的な、アメリカの政教分離原則も要因となった。

⑤ 進化の概念、特にダーウィニズムは、人間の起源と本性に関する主張に適用されたことで原理主義の主要な標的となった。アドベンチストのジョージ・マクレディ・プライスは、地球と生命の歴史は数千年前に起こった創造の六日間とそれに続く世界規模の洪水(2世紀前のウッドワードの説によく似ている)によって説明できるとして『新しい地質学』(1925)などを出版した。科学者たちからの非難を受けながらも、プライスらは1940年代に洪水地質学会を組織した。

⑥ 原理主義者のジョン・ウィットコムとヘンリー・モリスが著した『創世記の洪水』(1961)は、若い地球説に基づく創造論をアドベンチストの外に広げ、創造研究協会の設立(1963)につながった。1970年代になると、地球の古さを否定できる科学的根拠を追い求めるという従来通りの方針を続ける人々のほかに、公教育において創造論が進化論と同じ時間を割かれるべきだという主張を展開する人々が現れた。後者はやがて「創造科学」を名乗り、自らがひとつの科学であるように装った。

⑦ 1990年代には、かつてペイリーが論じたような自然神学の議論を復活させることで創造論を科学と見せかける「インテリジェント・デザイン」説の運動が現れた。

⑧ 多種多様な形で現れてきた創造論はきわめてアメリカ的な運動であって、他の国々の科学者はアメリカの科学者から創造論者たちの活動について聞かされるとき非常に驚くのである。イギリスを含む他の国々では、創造論者の運動はもともときわめて弱いものにすぎなかった。だが、20世紀後半になって、創造論はアメリカの原理主義者たちの資金援助によって他の国々にも輸出された。21世紀初頭にはユダヤ教やイスラム教にも広がりはじめた。これらの運動には、離婚、中絶、同性愛、フェミニズムなどにも激しい敵意を向けていることが共通しており、政治的イデオロギーと強く結びついてきたことが明らかである。

⑨ 結局のところ、若い地球説は地球平面説と同類のものであって、人類の科学的達成から見れば奇異な余興にすぎない。悲しいことに、創造論者たちは完全に理解力が足りないのである。