2015年3月4日

総合に関する二つのテーゼと、ハクスリーのいう進化の多様性 Beatty, “Julian Huxley and the Evolutionary Synthesis”

ハクスリーに関する論集に収録された論文ですが、一つ前のプロヴァインの論文を受ける形で書かれています。 そちらのまとめ記事は以下のリンクから参照できます。

■ 進化論の総合なんてなかった Provine, “Progress in Evolution and Meaning in Life”
http://nakaogyo.blogspot.jp/2015/03/provine-progress-in-evolution-and.html


John Beatty, “Julian Huxley and the Evolutionary Synthesis,” in C. Kenneth Waters and Albert Van Helden, eds., Julian Huxley: Biologist and Statesman of Science (Houston: Rice University Press, 1992): 181–189.

 プロヴァインの論文には、総合に関する二つのテーゼが登場している。一つ目はグールドが提唱した、いわゆる「総合説の硬直化」である。総合の当初、自然選択は進化的変化にとって特別に重要な原動力とはみなされておらず、他の原動力、特に遺伝的浮動も重要視されていた。だが40年代後半以降、遺伝的浮動による進化の事例が自然選択によって再解釈されるようになり、自然選択が進化的変化にとって唯一の原動力とみなされるようになった。二つ目は、ボウラーの『ダーウィニズムの凋落』(1983)によって認められるようになり、プロヴァインによって強力に支持されている、いわゆる「進化論の収縮」である。「総合」という言葉は多くの理論が集結したことを想像させるが、実際には総合説は様々な種類のラマルキズムや定向進化説など、多くの理論を拒絶した。総合説は、真剣に検討され得る進化の様式の数を大幅に減らしたのである。以上のように、「硬直化」は総合の当初における理論の複数性を、「収縮」は総合以前における理論の複数性を強調している。この論文では、ハクスリーの視点を検討することによって、以上の二つのテーゼに対しては慎重にならなければならないことを示す。
 ハクスリーが『進化――現代的総合(ETMS)』(1942)を書いたとき、進化遺伝学の一般法則はすでにフィッシャー、ライト、ホールデンらによって定式化されていた。彼らのモデルは、ある種の進化の様式を否定する一方で、まだ多くの進化の様式に可能性を認めていた。実際の進化がどのような様式のものであるかは、まだ示されていなかった。そこで進化生物学に残された仕事は、集団遺伝学の理論と両立する様々な様式の進化を説明し、それらの相対的重要性を明らかにすることであった。ETMSやドブジャンスキーの『遺伝学と種の起源』(1937)はこのような問題意識のもとで書かれている。1900年代と1910年代における進化理論の多様性は、いまや新しい、集団遺伝学の理論と両立する進化の様式の多様性に道を譲ったのである。ハクスリーはETMSにおいて、異なるグループの生物が異なる形の進化をするということや、選択にも様々な形があるということなど、進化の多様性に関する主張を繰り返した。
 このように様々な形の進化を認め、それらを一般化することの困難さを強調したのがETMSだったとすると、それは「総合」の名に値するのだろうか? 集団遺伝学や体系学、古生物学といった各分野の「つじつまが合っている」ことを示しただけなら、「総合」とは呼べないのではないか? それゆえプロヴァインは、ハクスリーは総合者というより編集者(compiler)だったのだと評価した。しかし筆者の考えでは、ハクスリーは各分野の「つじつまが合っている」ことだけではなく、それらが「相互に照らし合う」ことも示すことによって生物学の統合を目指したのである。たとえば遺伝的システムの進化を論じる第4章では、進化が遺伝学を解明し、遺伝学が進化を解明している。
 ETMSは1963年に再出版されたが、短いイントロダクションが追加された以外に書き直しはされなかったので、ハクスリーのなかで「硬直化」がどれくらい進んでいたか、はっきりとはしない。しかし、選択の重要性について、60年代のフォードやマイアのように極端な立場はとっていなかったように思われる。総合に際しては様々な進化の様式が否定されたが、それでもなお多くの様式が検討され続けていたのであって、われわれは「収縮」や「硬直化」といったテーゼによってその多様性を見えなくしてしまうことには気をつけなければならない。
 なお、ハクスリーにおける「進化の多様性」は、彼の「進歩主義者」としての立場とも関係している。彼の考えでは、様々な進化があるなかで、進歩を導く進化はごく一部の形の自然選択によるものに限られている。それゆえ、人間が進歩を続けるためには人間自身による介入が必要となる。「進化の多様性」を訴えるハクスリーの立場は、彼の優生学的視点を支えるものだったのである。

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