2022年6月25日

フンボルトの庭園論 Humboldt, Kosmos, vol. 2., pp. 95-103

Alexander von Humboldt, Kosmos: Entwurf einer physischen Weltbeschreibung, Zweiter Band (Stuttgart, Cotta: 1845-62), 95-103.

フンボルト『コスモス』第2巻、パート1

III 熱帯植物の栽培――植物の外見の対照や組み合わせ――植物の外観と性質によって誘発される印象

 版画による生産数の増加や最近の石版画の進歩があるとはいえ、風景画が心にもたらす影響は、温室や庭園にある外来の植物の光景がもたらす影響ほど力強くはない。私は若い頃にベルリンの植物園で巨大なリュウケツジュやヤシを目にして、遠く離れた地への旅を切望する想いを植え付けられた。
 風景画は大きさや形態を魔法のように操ることができるので、実際に植物を栽培して配置するよりも、より豊かで完全な自然のイメージを提供することができる。農園や庭園では、絵画のように海や陸の壮大な現象を凝縮することはできない。しかし、その代わりに、現実が細部のいたるところで感覚に働きかけてくる。それによって、完璧な絵画以上の幻想が与えられるのである。ただし、栽培することによって、本来の自然の性質の一部は覆い隠されてしまう。
 植物の形や対照的構成は自然研究の対象であるだけでなく、造園にとっても非常に重要な意味を持つ。歴史的には、造園は中央アジアと南アジアに起源を持つ。イランでもデロス島でもセイロンでも、樹木は自然崇拝の対象となった。
 東アジアの国々でも、何かしらの植物が聖なる対象とみなされて特別な注意が払われており、庭園には自然に対する想いが最も強く多様に表れている。中国の庭園はイギリス式庭園に近いものだったようだ。古代の文筆家Lieu-tscheu[柳宗元のこと?]は、我々が庭に何を求めるのかを考察している。前世紀半ばに清の乾隆帝が奉天と祖先の墓を称えて詠んだ詩には、自由な自然に対する感嘆が表現されている。司馬光も1086年頃に、庭園に関する詩を作っていた。当時ドイツでは、詩は粗暴な聖職者の手に握られており、祖国の言葉で作られることもなかった。
 その500年前から、中国、東インド、日本の人々は多様な植物の形に親しんでいた。これには仏教が関係している。寺や僧院、墓地は庭園に囲まれ、外来の植物で装飾されていた。中国、朝鮮、日本には早くからインド産の植物が普及していた。シーボルトは、遠く離れた仏教国で植物相の混合が見られることに注意を促した最初の人物である。
 ヨーロッパの文明化の最も貴重な果実の一つは、外来の植物の栽培と展示、風景画、文章の力などによって、普段触れなくなった自然や異国の自然に接することがどこでもできるようになったということであろう。

 

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