2014年7月27日

神からのサインと気象学 Vermij, “A Science of Signs”

Rienk Vermij, “A Science of Signs. Aristotelian Meteorology in Reformation Germany,” Early Science and Medicine 15 (2010): 648–674.

ヒロ・ヒライ先生の集中講義で担当した論文です。




0. イントロダクション
・ ルターの宗教改革に続く、ヴィッテンベルク大学のカリキュラム改革について。
・ 先行研究:ルターにとって、大学教育を支配してきたアリストテレス哲学は受け入れられないものだった。それゆえルターの神学改革は、自然哲学の総点検と密接に関連しながら進んだ。アリストテレス哲学は、ルター派のメランヒトンが考案した新しい解釈によって、ルターの宗教的原理に適応した。
・ では、ルターはなぜアリストテレスの自然学に反対したのか?
・ 先行研究:① アリストテレス哲学における、「世界は永遠である」「人の霊魂は消滅する」といった主張が、聖書に反していたから
       ② ルターは、道具的目的にかなう範囲では自然的説明を受け入れていたが、哲学は物事の本質について確かな説明をしないと考えていたから
・ どちらも十分な説明とは言い難い。アリストテレスの理論とキリスト教の教義の食い違いはずっと前から知られており、この頃までには一定の解決が見出されていた。しかも、ルターはアリストテレス哲学を、スコラ哲学ほどには拒絶していなかった。先行研究はこのことを説明できない。
・ 核心は別のところにある。16世紀の信心深い思想家は、えてして現代の神学者や哲学者が想像するのとは全く異なった考慮に導かれているものである。
・ それはアリストテレスの『気象論』である。ルターはこの本を、すべてのことが自然的要因で起きるという想定に基づいているという理由であざける記述を複数残している。これらの記述は、彼がなぜ自然学的説明を危険視したのかについての重要な手掛かりである。しかるに、現代の研究者はこれらの記述を無視してきた。
・ ルターが気にしていたのは、抽象的な原理ではなく、神からの「サイン」についての解釈だった。彗星、オーロラ、奇形児の誕生、自然災害、そういったものは当時、宗教的経験の重要な要素であった。これらのサインは、社会や自然の異常や、世界の終わりが近いことを示していると解釈された。そしてルターらの改革派にとって、神は天界からこれらのサインを通して現状のカトリック教会への不同意を表明しているはずだった。
・ この論文では、ヴィッテンベルク大学における自然哲学の改革が、大部分でサインへの関心に基づくものだったことを示す。


1. 気象学
・ アリストテレスは『気象論』のなかで、地球上の様々な現象を蒸気や太陽の影響などで説明していた。そして中世から初期近代の気象学は、つまるところ『気象論』を解釈する学問であった。アリストテレス哲学の受容が進むに伴って、神学者たちは徐々に、世界のすべての出来事を自然的要因で説明できると考えるようになっていった。
・ ルターの時代における気象学の伝統は、超自然的なサインが存在するという信念に直接的に反対するものとなっていた。気象学は、驚くべき現象を否定するのではなく、自然的要因で説明することによって脱神秘化していた。神が世界に積極的に干渉し続けていると信じるルターにとって、アリストテレス気象学は危険な研究分野であった。


2. 驚異の研究
・ 16世紀には、驚異的な出来事に関する記録を集め、昔ながらのパターンに基づいてその意味を解釈することがひとつの研究分野となっていた。
・ 特にルター派にとって、サインを知的な枠組みのなかに位置づけることは重要問題であった。メランヒトンの親友であった文献学者カメラリウスは、過去の彗星とその後の出来事についてのリストを作り、彗星は災害を知らせるものだと解釈した。メランヒトンの娘婿かつ友人であったヴィッテンベルク大学教授のポイツァーは、占いについての本を著した。ポイツァーは、自然に従うふつうの現象と、神や天使や悪魔などの高次の力による現象を区別した。たとえば最終章でポイツァーは、奇形などの逸脱は単なる自然の突然変異であるというアリストテレス流の考えを否定し、より高次の原因があるのだと主張している。また、別の章では流星について、意味をもたないものと、意味をもつ(差し迫った危機を示す)ものを区別している。


3. カリキュラムのなかの気象学
・ ヴィッテンベルク大学での自然哲学のカリキュラム改革において、気象学の改革ははじめから主要な位置を占めていた。
・ はじめのうちは、アリストテレスの本が用いられなくなった。代替としては、詩人ポンターノの詩や、古代ローマのプリニウスの博物誌が用いられた。プリニウスの著作が代替に選ばれたのは、幻影や前触れなど奇跡的出来事を多く登場させており、すべてのことを自然的要因から説明しようとしていなかったからだと考えられる。
・ 16世紀の中頃になると、アリストテレスに新しい解釈を加えることによって、アリストテレスの著作に基づいたカリキュラムを復活させるようになった。メランヒトンが1549年に出版した教科書では気象学はあまり論じられなかったが、その後べつの著者たちによる気象学を中心とした教科書が何冊も出版された。
 ヴィッテンベルク大学のみならず、他のルター派の大学もそれぞれ気象学の教科書を出版していた。これらの教科書は全体構成や議論内容に関して互いによく似ており、また、ポンターノやプリニウスを頻繁に引用するなど、ヴィッテンベルク大学の伝統を引き継いだものであった。
・ これらの教科書はアリストテレスにならっていたが、一方で改革も行っていた。たとえば、アリストテレスの四原因説に関して、かつての『気象論』の解説書は目的因を入れ替えたり隠したりしていたのに対し、新しい教科書では目的因が非常に強調された。目的因はさらに、自然学的なものと神学的なものに分類されることもあった。


4. 神の行為?
・ ルター派の著者たちは、すべての現象が自然的要因から生じるわけではなく、神によって直接的に引き起こされることもあることを強調した。また、どの現象が自然的で、どの現象がそうでないかを論じた。
・ ルター派の教科書は、自然的要因では説明できない現象が観察されているということを強調し、神によるサインとして解釈した。たとえば、空に何らかのイメージがあらわれるという現象である。このような現象は、かつての気象学の解説書で扱われていなかったため、ルター派の著者たちが自由に解釈することができた。
・ それでも、ルター派の著者たちはスコラ学の伝統のなかにあり、過去に自然的な説明をした学者がいる場合にはそれを無視することはできなかった。たとえば、カエルや魚などの雨が降ってくるという現象では、自然的な説明が既に論じられてきていた。そこでルター派の著者たちは、自然的な説明と、神の意図による説明を併記することになった。


5. 結論
・ Leppinは、天界からのサインについて議論したルター派の人々は二つのグループに分かれることを示唆している。片方は自然的な説明を行い、神を自然から閉め出す哲学的・人文主義的な著者たちで、もう片方は、神が自然に干渉するのだと考える聖書重視の著者たちであるという。Leppinによれば、この状況は「世界観の競争」であった。
・ しかしこのような区別は擁護できない。二つの立場による矛盾は、著者たちのあいだというよりも、それぞれの著作のなか(あるいは著者個人の心のなか)にあった。
・ ヴィッテンベルク大学における自然哲学の改革は、自然主義的な哲学を反自然主義的な原理と調和させようとする試みであった。この難しい調和の試みでは、異種の出典や議論を都合よく取り集める、ごちゃまぜに近い手法が用いられており、議論の全体を首尾一貫させるには至らなかった。

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