2015年7月23日

18世紀という時代 Boomgaard, “From the Mundane to the Sublime: Science, Empire, and the Enlightenment (1760s–1820s)”

Peter Boomgaard ed., Empire and Science in the Making: Dutch Colonial Scholarship in Comparative Global Perspective, 17601830 (New York: Palsgrave Macmillan, 2013).

Intorduction
Peter Boomgaard, “From the Mundane to the Sublime: Science, Empire, and the Enlightenment (1760s–1820s)”

● 18世紀という時代
これまでの科学史家の見方:科学革命と産業革命のあいだの時代
哲学者や観念史家の見方:理性の時代、啓蒙の時代
近年、科学史においてこの時代が「再発見」されつつある。
本書ではこの時代の終わり頃、すなわちおよそ1760年代から1820年代を扱う。
英国、フランス、スペイン、オランダといった諸帝国がしのぎを削っていた時代。
探検の時代(クックとブーガンヴィルに始まり、ダーウィンに終わる)。
本書が扱うのは、主にオランダの植民地や交易所。

● 観察と実験
18世紀、科学者たちはスコラ学の権威からますます遠ざかりつつあった。
観察が科学の土台として認められるようになった。
これに伴って数量化が重視されるようになり、様々な計量・計測機器が不可欠に。
顕微鏡や望遠鏡をはじめとして、実験機器も発達。
単位の標準化も必要となったが、19世紀に入るまでなかなか実現せず。

● 科学の有用性
啓蒙の時代には、科学や知識の有用性が強調された。
2通りの有用性:
 ① 公共善
 ② 神への崇拝、神の法則を知ること
中流階級以上では科学が普及。
啓蒙の科学:ありふれた、実用的、実践的、応用科学的、科学技術的
聖書を読むこと以上に、「自然の書物」を読むことが重要とみなされた。
宗教と科学のあいだにそれほど対立はなかった。

● 自然物と人工物の収集
初期近代では、動植物、鉱物、化石、工芸品、科学機器などを並べた「驚異の部屋」。
植物について、標本集や草本誌。
ナチュラリストに限らず、様々な立場の人が「驚異の部屋」をつくっていた。
17世紀末から18世紀初頭になると、科学的目的をもった専門家だけがコレクションをもつようになっていった。

● 科学と帝国
かつての科学史では、西洋科学を普及させたことが帝国主義のもたらした利益だったとされた。
1970年代以降になってはじめて、帝国が西洋科学を生み出したのだという主張が登場。
啓蒙という思想もまた、ヨーロッパが単独で生み出したものとはいえないという主張が出てきている。

● 情報の氾濫
16世紀以来、「新しい」土地に関する出版物が溢れかえるようになった。
多くの著者は、原則として全ての人々が等しい潜在能力をもっているという考えを支持した。
その一方で、人々はヨーロッパの優越を信じるようになった。
18世紀後半:ロマン主義の時代が到来。崇高なものへの称賛。
情報の氾濫と、新しい分類法の誕生。
学問分野の名称は、「自然哲学」「実験哲学」「自然史」「道徳科学」などから、「動物学」「地理学」「考古学」「統計学」などに変化。

● 発見の航海
各国政府が航海を支援。
① 航海は、帝国という枠組みの内部で企画されていた。
② 航海は、明確な科学的目標を立てていた。

● 協会とアカデミー
協会やアカデミーは、ある意味で大学を補完するものとなっていた。大学がラテン語で教えられるのに対し、協会ではその土地の言葉が用いられ、大学教育を受けていない人々も集まっていた。
18世紀後半までに、協会間のネットワークも構成されていた。
オランダ共和国では、パリやロンドンのそれのように中心的な役割を果たす協会・アカデミーはなかった。

● オランダの場合
この本の問い:
 1800年頃のオランダ人は海外の植民地について何を知っていたのか?
 その知識はどのようにして生み出され、どのようにして伝わったのか?
1760年代以降のオランダは、経済的にも学術的にもうまくいってはいなかった。
探検隊派遣などの大規模な企画を支援してくれる資金源もなかった。
ただし、VOCとWICのネットワークはよく動いていた。
本書では、目的地に届かなかった情報についても扱う。


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