2016年10月23日

生気論と還元主義の間を行く目的論的機械論 Lenoir, The Strategy of Life, Preface & Introduction

Timothy Lenoir, The Strategy of Life: Teleology and Mechanics in 19th Century German Biology (Chicago: University of Chicago Press, 1982).

Preface

 本書が描き出すのは、19世紀初頭のドイツにおける、目的論的モデルと機械論的モデルの統合に基づくリサーチプログラムの発展の歴史である。ドイツの生物学における19世紀初頭は不毛な思弁的議論の時代であったとみなされがちであるが、本書ではその評価を覆したい。また同時に、目的論の支持者は生気論者であったとか、彼らは宗教的に動機付けられていたなどといった誤解を解きたい。目的論的な関係性は、生物の形態や機能の因果的機能を研究するための、思慮深い様式であった。

 本書の主題となる研究伝統は、諸生物の相互関係を説明する理論の構築も目標としており、フォン・ベーアらが型に制限された形での生物の発展モデルを築いた。フォン・ベーアは、哺乳類の卵子の発見などの業績だけが注目されがちであるが、生命科学に大胆なアイデアを提出し続けた人物であり、本書の主人公となる。

Introduction

 本書の主張は、19世紀前半のドイツにおける生物学の発展は、1790年代に打ち出されたアイデアとリサーチプログラムに導かれていたというものである。アイデアの明確な定式化はカントによってなされ、これがブルーメンバッハとその学生たちによって生物学に導入された。さらに、トレヴィラヌス、キールマイアー、メッケル、フォン・ベーア、ミュラー、ベルクマン、ロイカルトなどといった人物が続いた。こうした研究伝統は、これまで注目されてこなかった。それは第一に、目的論的説明とその発見的な効力を理解しようとする歴史家が少なかったためであり、第二に、ドイツの場合には生物学を発展させた推進力はロマン主義の自然哲学であると誤って考えられてきたためである。

 ダーウィンへの注目の強さも、ダーウィン以前における生物学のイメージを歪めてきた。ダーウィンは生物学の諸分野の統合に成功したが、その目標を達成するためのアプローチはそれ以外にも存在していた。だがイングランドにおけるダーウィンの同時代人たちの目的論は、宗教的な信念を擁護するものが主であり、ひどく貧弱であった。その一方、ドイツでは創造に依らない形での目的論が洗練されていたのだが、ダーウィンはそれを意識していなかった。そして歴史家も、ダーウィンの記述に追随してきてしまった。

 生物学の発展の歴史はしばしば、生命現象を物理学や化学の法則に還元することによる目的論の追放の過程として描かれてきた。だが、そのような理解は間違っている。生命現象を物理学や化学の法則に還元できないと考えることは、厳密に定量的な科学を行うことと矛盾しない。

 生物学における目的論は、生気論と還元主義の中間的な説明を提供するものであり、いくつかの形式に分類することができる。一つ目の立場(生気機械論)は、ニュートンの万有引力と類似した生命固有の力を想定するが、その力は生物を構成する物質の組織に依拠していると考える。これは生気論に比較的近い立場で、ブルーメンバッハやライルが採用した。二つ目の立場(機能主義)は、物理学的・化学的な力以外の力の存在を認めないが、特定の境界の内部では物理化学的な力の作用が秩序立てられると考える。この立場は、ベルナール、ベルクマン、ロイカルトらが採用した。以上の二つの立場と異なり、三つ目の立場は生命のない物質と生物体の二分法を認めず、宇宙全体が根本的に生物学的なのだと考える。物理学的な法則は、宇宙全体を司る生物学的法則(各部分は全体に従属する)が特定の制限下に置かれた場合に成立するものに過ぎない。このアリストテレス的な立場は、ヘーゲルによって採用された。

 19世紀の00年代にはドイツの生物学者たちは一つ目の立場を好んだが、40年代末までに二つ目の立場が有力となった。この移行は生理化学やエネルギー変換に関する理解の進展によるものであったが、その進展をもたらしたのは本書で論じる、カントに始まる目的論的機械論の研究伝統であった。


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