2017年1月12日

アガシーによる氷河説の提唱 Rudwick, Worlds Before Adam, Ch. 35

Martin J. S. Rudwick, Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform (Chicago: University of Chicago Press, 2008), 517-33.

Ch. 35 スノーボールアース?(1835–40)


35.1 アガシーのアルプス山脈「氷河期」
迷子石に関する第四の説明は、アガシーによって提唱された。アガシーはシャルパンティエに氷河の痕跡を紹介され、また友人の植物学者であるシンパーの影響も受けて、「氷河期」の考えに至った。1837年、アガシーはスイス自然科学協会の会長講演でこれを説明した。アガシーは、アルプス山脈の氷河がジュラ山脈まで到達していたというシャルパンティエの主張を否定する一方で、アルプス山脈の隆起よりも先に北極から少なくとも地中海沿岸までが氷に覆い尽くされていた時代があったのだと主張した。この状況でアルプス山脈が隆起したことで、静止した氷床が傾き、迷子石がジュラ山脈の山麓まで滑ってきたのだという。その後、気温の上昇によって氷床は溶け、一部に動く氷河が残り、それもやがて後退していったというのがアガシーの説であった。

35.2 氷河期を拡張する
1838年、アガシーはこの理論を学会で繰り返し宣伝したが、納得する地質学者は少なかった。しかし、当初はアガシーを批判していたベルン大学地質学教授のシュトゥーダーは、アガシーに同行して氷河の擦痕を観察したことで転向する。ただし、シュトゥーダーは氷河が極めて広範囲に広がっていたことを想定しており、規模の点ではシャルパンティエと、氷の性質の点ではアガシーと意見を異にしていた。

35.3 英国における氷河期
1840年、アガシーは化石魚類の研究のために英国に渡り、同時に英国の地質学者たちを氷河説に転向させようと試みた。すでにアガシーの発表を直接聞いていてそれに納得し始めていたバックランドの案内でスコットランドを調査し、氷河の痕跡を多く見つけることができた。また、グレン・ロイについても氷河による説明を提供することができた。バックランドの説得により、当初反対していたライエルすらも氷河説に転向した。そしてロンドン地質学会では、アガシー、バックランド、ライエルが発表を行った。しかし、そこに参加していたマーチソン、グリーノウ、ヒューウェルを含め、多くの地質学者はなお懐疑的であった。

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