2019年9月15日

ロマン主義の人生と生命観 Richards, The Romantic Conception Of Life, Prologue

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. xvii–xix.


プロローグ

 この本のタイトルは、この研究の2つの側面に関係している。1つは、この本で議論する個々人によって経験されたものとしての人生(life)である。彼らはロマン的な人生を送った。恋人が15歳で亡くなり自身も30歳になる前に亡くなった若い詩人(ノヴァーリス)。革命のときフランス人兵士にあっという間に夢中になり、彼の子どもを身籠っているあいだに幽閉された美人(カロリーネ)。友人の妻と恋に落ち、その娘とも恋に落ちた哲学者にして科学者(シェリング)。ローマへ逃げ延びて、繊細な詩で性の解放を称賛した有名な書き手(?)。これらの人々は、中産階級の道徳的慣習に反抗し、自由の理念を唱道し、その普通でない生涯の記憶を自叙伝や手紙に、さらに非直接的な形では詩や小説、神学的・科学的文章にも書き残した。彼らは、意識的に「ロマン的」という言葉を盗み取って専有した。そして、彼らの人生がこの言葉の意味を定義することになったのである。

 もう1つは、そのような人生を送った個々人が、詩や哲学や科学を通して、生ある自然をロマン主義的な様式で理解しようとしたということである。一般的には、彼らは一様に啓蒙主義の理性重視に反対していたのだと理解されているが、実際のところはそういうわけではない。むしろ、ロマン主義者たちの多くは、科学的精神は宇宙の隅々までを見通すことができると考えていたという点で理性主義的であったとさえいえるかもしれない。だが彼らは、美的な判断が現実の深い構造に至るもうひとつの相補的な道を提供するとも主張した。特に、哲学や科学を詩的に変容させることで、それまで考えられなかったような自然の特徴を明らかにできるかもしれないという主張をして、哲学や科学の性質に関する想定に根本的な変化をもたらした。この新しい理解に勇気づけられて、ロマン主義者たちは、科学の進歩の原動力として機械論を推進してきた、それまでの思想の防波堤に襲いかかった。デカルトやニュートンからヒュームやカントまで、機械論は生きていない宇宙だけでなく生きている世界も理解するための基本的な思想であった。ロマン主義者たちは機械論の思想を有機体の思想で置き換え、自然を理解するための主要な指針としてそれを用いたのである。

 1780年から1820年までのあいだ、つまりゲーテの時代に、彼らは「共同で哲学」し「共同で詩作」するために集まった。そのなかの科学的なメンバーは、哲学者の関心や詩人の感覚を生命の実験的探究に持ち込んだ。ロマン主義者たちは、表現の芸術的様式と科学的様式の関係についての強力な思想を考案したのである。しかし、彼らの着想は、彼らの具体的な人格や、愛や憎しみに燃えた人間関係のなかから生まれたものである。私は初期のロマン主義思想家たちの哲学的・科学的思想を、それらが先人の知的遺産や直接の科学的経験、そして緊密な人間関係といったものから現れた通りに追ってきた。

 この本は、ニュー・クリティシズムの立場には与さず、彼らの人生がどのように彼らの仕事に影響したかを示していく。しかしそれだけではなく、彼らの仕事がどのように彼らの人生に影響したかも示していく。
 この本を通して、私はいくつものテーマを扱っていく。私のねらいは、いかにして自我の概念が、美的・倫理的考慮とともに、自然の生物学的表現に補完的な形を与えたのかを示すところにある。しかし、それらのテーマは、異なる個人や出来事に関わるので、この本のいくつかの部分でそれぞれに展開していく。

 この本のさまざまなテーマや議論は、エピローグで明確になる結論に向かって流れていく。そのエピローグでは、ロマン主義の思想がダーウィンの自然や進化の概念に形を与えた根本的な筋道を描く。ロマン主義的科学と呼ばれるものは何であれ、せいぜい19世紀科学思想の小さな支流と考えられる程度であったが、私の結論はまったく異なっていて、19世紀生物学の中心的な流れはロマン主義の運動に起源をもっていたというものである。

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