2019年9月15日

ドイツ自然哲学とロマン主義的生物学 Richards, The Romantic Conception Of Life, Introduction

Robert J. Richards, The Romantic Conception Of Life: Science And Philosophy In The Age Of Goethe (Chicago: University of Chicago Press, 2002), pp. 1–14.


イントロダクション:最も幸福な出会い

 1794年7月20日、ゲーテ(1749–1832)とシラー(1759–1805)はイエーナ自然科学協会の集まりで同席した。2人は6年前から知り合っていたが、関係はよくなかった。シラーは超然とした天才風のゲーテに敵愾心を抱いていたし、ゲーテはカント的な主観主義の立場をとるシラーに当惑していた。それゆえ、ゲーテとシラーは集まりの後、お互いに用心しながら議論をした。ゲーテはこのとき、講演していた植物学者アウグスト・バッシュの意見に反して、自然の研究は全体から部分へと進むのでなければならないと話した。シラーはこれに好奇心をそそられて、ゲーテを家に招いて会話を続けた。ゲーテは、すべての植物を理解するための形態学的モデルとなる「原植物 Urpflanze」のスケッチを見せたが、シラーは「これは経験ではない、理念だ」と言ったので、ゲーテは憤慨した。しかし、この出会いはゲーテとシラーの終生続く友情の始まりとなったのである。

 ゲーテは『形態学のために Zur Morphologie』(1817–24)の最初の回で、この出会いについて書いた。このことは、ゲーテの理論がロマン主義的感覚から生じたものであることを示唆しているように思われる。ゲーテをロマン主義者だとするのは、奇異な考え方に映るかもしれない。たしかにゲーテは、ロマン主義を批判していた。しかし1830年には、自らの意志に反して自分自身がロマン主義者だったということをシラーによって納得させられたと述べている。

 19世紀の科学を研究する歴史家たちはふつう、ロマン主義的科学というようなものは何であれ異常なものとして片付けてしまう。歴史家のTimothy Lenoirでさえ、この時代の「本物」の生物学者たちを切り分けてこの汚名から守ろうとした。しかし、当時の生物学を、そこに生命を吹き込んでいた思想や文化と繋げて捉えれば、生物学の多くの主題がロマン主義の様式で演奏されていたことがわかるだろう。

 この本のパート1では、ロマン主義の潮流を生み出したノヴァーリス、シュレーゲル兄弟、シュライアマハー、シェリング、ゲーテ、カロリーネ・シェリングらの人生と思想を追う。パート2では、カント、ヘルダー、ブルーメンバッハ、キールマイアー、フンボルトらによる生命の本質の定式化を考察する。彼らの定式化は、シェリングやライルと融合し、変形した。パート3では、ゲーテと彼のロマン主義に対する一見矛盾した評価の問題を扱う。エピローグでは、ドイツのロマン主義がダーウィンに与えた影響を論じる。この本は伝記的な性質が強いが、それは、思想がつくられているところを捉えるためには、その人物の特徴について詳しく理解することが重要だと確信しているからである。


● 自然哲学とロマン主義的生物学の歴史的意味

 これまで、「ロマン主義」や「自然哲学 Naturphilosophie」といった言葉は定義されずに曖昧に用いられることが多く、そのせいでそれらが科学の歴史のなかで果たした役割が侮られることが多かった。この本では、「ロマン主義的生物学」や「自然哲学」といった言葉で表される思想の起源と発展を辿ることでその定義をしていくが、その前に暫定的な定義をつくっておきたい。これからそれらの思想の特徴をいくつか述べるが、それらすべてを組み込んでいた思想体系が存在したわけではない。ある思想体系がどれくらいロマン主義的、あるいは自然哲学的であるかは、そのうちどれくらい多くの特徴をもっていたかで判定されることになる。

 「自然哲学」と「ロマン的」はどちらも18世紀初頭に導入された言葉だが、18世紀末の人々によって新しい方向づけがなされた。両者は深く関係した歴史を辿ってきたし、現在では相互に交換できる言葉として使用されることも多いが、異なるものである。私は、ロマン主義的生物学をドイツ自然哲学という属の一つの種として理解することを提案する。


● 自然哲学

 自然哲学の主要な人々は、カントやシェリングやゲーテが普及させた、生物はいくつかの「原型」を示しているという考え方を採用した。たとえば、動物の原型として「放射相称動物 radiata」「関節動物 articulata」「軟体動物 mollusca」「脊椎動物 vertebrata」の4つがある。

 カントは、生物のこのようなあり方が示唆しているのは、生物はそれが具現化しているところの理想(ideal)から生み出されているということだと主張した。しかしカントは、自然の科学的分析は機械論的、ニュートン科学的におこなわれなければならないとも説いていた。そこでカント主義の生物学者は、原型という概念をあくまでも発見的方法として用いるしかなかった。一方、シェリングやゲーテ、それに追随した生物学者たちは、原型が生物学者にとって必要な仮定であるならば、自然が本質的に原型的である――つまり機械的というよりも有機体的である――とみなしてもいいはずだと考えた。

 自然哲学者たちは、原型の具体化や漸進的な変異を説明するとき、特別な力の存在に訴えた。しかしそれは物理学的な力と両立しないものではなく、むしろ物理学的な力の特別な適用(動物電気や動物磁気など)であったり、物理学的な力から生じたもの(生命力 Lebenskraftや形成衝動Bildungstrieb、自然選択など)であったり、物理学的な力を構成するもの(シェリングのpolar forcesなど)であったりした。また自然哲学者たちは、物質と精神を同じひとつのもののあらわれと見る一元論を採用し、自然を調和的で統一されたネットワークとみなした。

 原型が自然のなかでどのように具体化されるかについては、3つの異なる理論があった。シェリングらは、原型の変異の出現を、漸進的発展の結果とみなした。これは反宗教的とみなされやすかったので、イギリスのジョゼフ・ヘンリー・グリーンやリチャード・オーウェンは、原型は神の心のなかにあるもので、原型が自然のなかに出現するのは神の活動の結果だということにした。そしてダーウィンは、原型的構造を抽象的なものとしてではなく歴史的な産物とみなした。

 自然哲学者たちは、個々の生物や自然全体を、目的論的に理解されるべきものだと考えた。ただしそれはイギリスの自然神学とは異なり、スピノザ的に神と自然を一体とみなすものだった。このような考え方は、デカルトやニュートン以来の機械論に反している。自然は創造主のデザインの産物ではなく、それ自身を生み出す存在となった。時計のような機械に歴史性を見出すことは難しかったが、このような自然哲学の見方は、自然に歴史を見出すことを可能にした。


● ロマン主義的生物学

 ロマン主義者たちは、自然哲学の考え方に、美的・道徳的な要素を加えた。

 ロマン主義的生物学者たちは、目的論的判断と美的判断は論理的に類似しているというカントの分析を受け止めて、両者は自然に対する相互補完的なアプローチだとみなしていた。これは、芸術的な方法と科学的な方法が調和するという考え方につながった。ロマン主義的生物学者たちはしばしば、生物全体や自然環境全体の美的把握が、個々の部分の科学的分析の前に必要だと論じた。

 カントはさらに、美的判断と道徳的判断の論理的類似性を指摘した。このことから、自然の科学的・美的把握は道徳的要素も含むということになった。そこでロマン主義的生物学者たちは、自然は法則性や美的喜びだけでなく、道徳的価値の宝庫でもあると考えた。

0 件のコメント:

コメントを投稿