2016年4月28日

「機械」と「自己組織化」による知識の移動 Davids, “On Machines, Self-Organization, and the Global Traveling of Knowledge, circa 1500–1900”

Karel Davids, “On Machines, Self-Organization, and the Global Traveling of Knowledge, circa 1500–1900,” Isis 106 (2015): 866–74.


 知識はなぜ、どのようにして、ある場所から別の場所に移っていくのだろうか。数年前にJames McClellanとFrançois Regourdは、かつてのフランスで国家によって支援された機関が専門家や専門知を取り込んで協働的に働くことで植民地の拡大や開発を支えた様子をひとつの「機械」に喩えることによって、この問いに対する一つの答えを示した。彼らの議論に対しては、初期近代の国家が目標のために人的資源を取り込む能力が過大評価されているという批判がなされた。だがそれでも、このメタファーを考えていくことには価値がある。この論考では、「機械」というメタファーを捨て去るのではなく修正して拡張し、「自己組織化」というメタファーと対峙させる。

 まずは「機械」のメタファーを修正・拡張したい。McClellanとRegourdはフランスの例を論じていたが、彼らが示した「植民地支配的機械」という描像はフランスだけに限らず、16世紀におけるスペイン・ハプスブルク朝や、18世紀以降の英国にも当てはめることができる。そしてこれらの例はどれも植民地経営と密接に関わっているのであるが、植民地とは直接の関わりをもたない「機械」も存在する。たとえば18世紀後半におけるブーガンヴィルらの航海は、国家に支援された機関が専門家や専門知を取り込んで知識を移動させた例ではあっても、植民地支配の外で行われているという点で、「植民地支配的機械」というより「帝国的機械」と呼ばれるべきだろう。さらに、ハドソン湾会社やオランダの東インド会社、イエズス会のように、極めて広い範囲に展開して知識を収集・伝達した「商業的機械」や「宗教的機械」も存在する。

 「機械」のメタファーを用いることによって、知識がどのようにして移動するのかということだけでなく、なぜ知識が移動するのかということも説明することができる。というのもこのメタファーは、知識の流れを支える機関やメカニズムを表現すると同時に、そのプロセスで原動力となっている要因(国家権力、利益の追求、魂を救済しようという欲望、など)も示すからである。つまり、ラトゥールのいうところの「蓄積のサイクル」がなぜ生じるのかを理解することができる。また、「機械」同士を比較したり、「機械」間のつながりやその変化を調べたりすることが可能になる。

 だがそれでも「機械」のメタファーだけでは、グローバルな知識の移動を説明するのに十分ではない。知識の流れを導く上からの力を表現する「機械」のメタファーは、下からの力を表現する「自己組織化」というもう一つのメタファーによって補完される必要があるだろう。「自己組織化」は、直接的で中心化されたコントロールによらない、多数の相互関係を通じたパターン形成を意味する。「自己組織化」は、帝国的・商業的・宗教的な「機械」の内側でも外側でも起こりえた。「機械」のメタファーが示唆するほど、実際には知識の流れに対する中央の機関によるコントロールは強くなかったのであり、「機械」の構成員は各々に外部の人々と情報交換をしていた。自己組織化された脱中心的なネットワークも存在していたのである。

 「機械」や「自己組織化」のメタファーは、ヨーロッパの外部にも見出だせる。徳川幕府における蘭学(ヨーロッパからの知識輸入)の発展はその一例で、初めは公的な支援に依らず、長崎の一部の人々が自発的にネットワークを形成して営んでいた(自己組織化)が、やがて幕府が支援に回り公的な組織のなかで営まれるようになったのである(機械)。

 以上、この論考で扱った例は1500年から1900年のあいだに収まっているが、1900年以降に視野を広げることも今後の研究にとって有益であろう。


【関連リンク】
知を編成するマシーンとしてのフランス McClellan and Regourd, "Colonial Machine" - オシテオサレテ
マシーンと自己組織のなかの知の移動 Davids, "On Machines" - オシテオサレテ


0 件のコメント:

コメントを投稿