2016年7月20日

DNA言語学と情報理論的生命論 Kay, Who Wrote the Book of Life?, 第7章後半と結論

Lily E. Kay, Who Wrote the Book of Life?: A History of the Genetic Code (Stanford: Stanford Univeristy Press, 2000), pp. 310–331.


● 存在論とアナロジーのあいだで : 生命の本のキメラ

【310-2】この議論はヤーコブソンを触発した。というのはこの議論が、生物学と言語学を結びつける特徴に焦点を当て、さらなる分野間研究を暗示していたからである。1969年9月には生物学の会議に参加し、「生命の言語と言語の生命」という講演で、言語それ自体が科学と人文学をつなぐくびきなのだと論じた。1970年の著書でも、言葉の暗号と遺伝暗号の同型性に基づいて、遺伝暗号は生物がもつ最古の言語なのだと指摘した。

【311-1】ヤーコブソンは、遺伝暗号のサブユニットは音素にたとえることができると考えた。情報を伝達する様々なシステムのうち、遺伝暗号と言葉の暗号だけが、意味を欠いた要素(音素)の使用に基づいているのだという。こうして音素という概念を脱音声化したことで、ヤーコブソンはアナロジーをさらに押し進めることができた。音素間関係が弁別的素性の二項対立に分解できるように、DNAの塩基配列でもAとT、GとCのペアが存在しているのだという。しかしここでは、弁別的素性と塩基は機能において異なっているという明白な問題が覆い隠されてしまった。

【312-1】ヤーコブソンは、言葉のメッセージと遺伝的メッセージのあいだには階層性の点でもアナロジーが成り立つと論じた。前者が字句単位から構文単位へ上っていくように、後者もコドンからシストロンやオペロンへ上っていくのである。句読点は、「隠喩的に」開始コドンや終止コドンに対応する。開始コドンが場所によって異なった意味をもつという新しい知見は、自然言語と同様に遺伝的メッセージも文脈依存性をもつことを示している。共直線性も、言葉と遺伝の言語で共通している。話者間でのコミュニケーションと違って遺伝暗号は一方向的に読まれているように思われるかもしれないが、フィードバック制御が対話的性質に対応しているのである。二つの情報システムのこうした共通の性質は、それぞれに安定性、種分化、無限の個性化をもたらしている。

【312-2】ヤーコブソンの考えでは、言語は人間性の普遍的な資質であるゆえに、こうした相同性は人間性にとって重要な意味をもっている。ヤーコブソンは、この同型性は単に類似した自然的制約に導かれた独立的発展なのか、それとも共通の現象の現れなのかと問い、後者の回答を好んでいた。こうしたアナロジーによって、遺伝暗号は宇宙原理とも言い得るような存在論的地位を得るようになった。

【313-1】一方ジャコブは、だんだんとこうしたアナロジーに対して慎重な姿勢をとるようになっていった。生物学は、元から存在する実在のものというよりも、あくまで生命のモデルや表現を扱っているのだとして、主張を弱めていったのである。1974年の記事では、生物学的な言語と社会的な言語の違いが大きいことを指摘して、ヤーコブソンに対して異議を唱えた。

【313-2】ジャコブは、プログラムや指示書や暗号といった言葉で遺伝を表現するのは、単に情報理論が台頭したこの時代特有の思想に過ぎないのか、それともより根本的な実在に根ざしているのかと考えた。その上で、言語には送り手と受け手がいるが、生物の遺伝にはそのような存在は見当たらないと指摘した。

【314-1】ジャコブによれば、共直線性や要素間の連結といった同型性も、二つのシステムの同一性を証拠付けるには不十分である。またジャコブは、言語学が遺伝的分析を手助けすることはあっても、遺伝学が言語学に貢献することはほぼ無いだろうと論じた。

【314-2】ジャコブは、生物学において説明のためのモデルが多くの役割を担ってきたことを認めつつ、しばしばそのモデルそのものをアイデンティティとみなしてしまう傾向があると指摘した。そして皮肉を込めてなのか、遺伝と言語の関係を掴みたいのであれば『易経』を研究すべきだと述べた。

● 遺伝暗号と『易経』 : 真面目な冗談?

【315-1】1969年頃、欧米で複数の人物が、完成された遺伝暗号と『易経』の類似性を指摘した。『易経』と遺伝的な「生命の本」は、どちらも4の3乗=64パターンで多様性を説明する。『易経』の爻には、1本につながった横棒の「陽」と、真ん中で2つに分断された横棒の「陰」があり、爻2本を重ねることで、組み合わせによって「太陽」「少陰」「少陽」「太陰」の四象となる。そして四象が3つ組み合わさることで、六十四卦が出来上がる[普通は八卦が2つ組み合わさったものと説明される?]。

【317-1】Gunther Stentは、遺伝暗号と易経の一致を驚くべきことだと述べた。Martin Schönbergerは、『易経』と「生命の本」の双方が普遍的な情報の流れを表現していると考え、共通の原理があるのではないかと推測した。

【318-1】モノーが『偶然と必然』で表現した世界観とは異なり、Schönbergerもヤーコブソンも、根本的な普遍性を見出そうとしていた。科学者たちはこうしたスピリチュアルな主張を見捨てることもできたであろうが、そうするとそれよりもずっと繋がりの弱いDNAと言語のアナロジーを保持したり存在論的に扱ったりすることは、ダブル・スタンダードに陥ってしまうのであった。

【318-2】このような存在論とアナロジーのあいだの緊張関係は、Françoise Bastideが提唱した「キメラ」の概念によって中和されるだろう。Bastideは、現代の生物学ではその対象が、自然に属する身体と文化に属する頭部のキメラのような存在として見られているのではないかと示唆する。「生命の本」も、自然と文化の産物であるキメラとして見られているのかもしれない。

【319-1】1950年代にサイバネティクスや情報的表現が言語学と分子生物学の両方に輸入されたことで、両者のあいだでアナロジーが駆り立てられた。そして両者が同時に脱物質化されたことで、言葉(DNA配列の情報)を自己組織化の起源、生命と進化の存在論的単位とみなさる可能性が出現したのである。この展望は1970年代に、コンピューター上で生命をシミュレーションしたマンフレート・アイゲンによって推進された。70年代には、ヤーコブソンの影響力が弱まるにつれて、チョムスキーのパラダイムに基づいてDNAの言語的性質が研究される傾向が強まったが、アナロジーから存在論への根拠の無い外挿だという批判は続いた。

● 言葉(世界)の進化

【319-2】アイゲンは1960年代初頭から生命科学に参入し、60年代末までには情報としての生命の起源を探るリサーチプログラムを打ち立てていた。物質の自己組織化、分子進化、DNA言語の始まりなどといった事柄を、情報ベースのゲーム理論として再構成された、ネオ・ダーウィニズムの進化に基づくアルゴリズムで研究しようとしていた。

【321-1】アイゲンは、生命の起源において核酸とタンパク質のどちらが先にあったのかという問題に囚われる必要はないと論じた。核酸とタンパク質の相互作用(ハイパーサイクル)から、動的で機能的な特性である意味論が生じたのである。アイゲンによれば、特定の条件下ではハイパーサイクルによって自己組織化、選択、進化といった機能的組織化が実現し、やがては環境を変えられるようになって前提条件を常に保つことになる。

【321-2】アイゲンは、このゲームにランダム性を導入していた。突然変異は、適切に選択されれば新たな情報の源となるのである。

【322-1】アイゲンがこのゲームで明らかにしたのは、ダーウィン的な選択は特定の前提条件の達成によって実現され、その前提条件はシステムの複雑性が一定程度まで達すれば不変になるということである。こうしてアイゲンは、特定の条件を維持しつつ自己進化する分子システムの可能性を示した。

【322-2】立法権を提供する核酸と、行政権を提供するタンパク質の組み合わせによって、自己増殖するハイパーサイクルが生まれ、選択が繰り返されるようになる。生命情報の誕生はまぐれというよりも、むしろ不可避的な出来事だったのである。

【323-1】70年代中頃までに、情報理論的分子ダーウィニズムは言語学的な様相も帯びるようになる。構造主義からチョムスキーのパラダイムへの移行とともに、多くの分子生物学者が新しいパラダイムのもとで遺伝的言語を探究するようになった。

【323-2】アイゲンは、生命は言葉なのか行為なのかという問題を避け、生命は両方であるはずだと考えた。立法権をもつ核酸と、行政権をもつタンパク質のあいだでのコミュニケーションというモデルにおいて、意味論はタンパク質のほうに割り振られた。

【324-1】しかし、DNAの統語論とタンパク質の意味論というアイゲンの区別は根付かなかった。必要とされたのはむしろ、遺伝の意味を探ることのほうであり、その必要性はヒトゲノム配列を解読する機運が生じたことで高まった。

【324-2】DNA言語学は科学的なムーブメントにまではならなかったが、分子生物学の一分野となった。ヤーコブソンやジャコブに触発されたJulio Collado-Videsはこの分野の擁護者として名前を挙げることができる。

【324-3】「生命の本」というキメラは、矛盾や不調和を内包しつつも、生権力の探求、ゲノムの支配、言葉のコントロールにおいて主要な象徴物となった。


結論

【326-1】読まれ編集されるのを待っている「生命の本」に書かれた情報というイメージは、科学的な生産性と文化的な推進力をもっていた。ゲノムの配列を決定しようという試みは、遺伝子、構造、機能のあいだに直線的な一致があるという見方に基づいている。しかし実際の関係には、可塑性、文脈依存性、偶然性があり、実際に現在、いくつもの研究室が複数の遺伝子や環境のネットワークを重視する方向性に向かいつつある。

【326-2】人間の病気に関しても関わっている遺伝子が一つだけというものは少ないということもあり、遺伝子治療が成功を収めるのはまだまだ先のことだろう。

【327-1】ヒトゲノム計画は、情報時代の生権力の展望だといえる。ゲノム的生権力は、身体や人口のコントロールといったものを越えて、言葉あるいはDNA配列のコントロールを通して、生命をコントロールするのである。

【327-2以降(本全体の要約)】ゲノムをテキスト的なもの、言語的なものとして捉える言説は1940年代末から現れ、50年代と60年代の遺伝暗号解読研究を通して発展した。それまでの生命科学において主要なテーマであった「特異性」は、新しい「情報」というテーマによって取って代わられた。もし遺伝暗号の問題が30年代に研究されていたら、その表現のされ方は大きく異なるものになっていたであろう。以上のことは、第二次世界大戦や冷戦の影響を受けた当時の科学文化の軍事的性質と密接に関係している。ジョージ・ガモフをはじめとするRNAタイクラブのメンバー(物理学者が中心であった)は、遺伝暗号解読の第一期(1953–61)に軍事的な暗号解読の手法を生命科学に持ち込み、問題の枠組みを規定した。彼らのアプローチは、タンパク質の合成過程をブラック・ボックスとみなし、DNAという入力とタンパク質という出力だけに基づいてその関係を探ろうとするものであった。こうした「情報」の言説は、50年代末にジャック・モノーやフランソワ・ジャコブといったパストゥール研究所の人々が酵素合成の遺伝的制御をサイバネティクス的な通信システムとして捉えた際にも重要な役割を果たした。彼らの研究によって、遺伝暗号の問題に対する生化学的な(分子遺伝学的でない)アプローチの道が拓かれた。マーシャル・ニーレンバーグとハインリッヒ・マタイがpoly-Uの合成RNAを用いてポリフェニルアラニンをつくったことが突破口となり、遺伝暗号解読は第二期(1961–67)に突入する。セベロ・オチョアらも加わり熾烈な解読競争が繰り広げられた末にコドン表が完成したが、第二期の研究もやはり第一期の概念的・言説的枠組みに導かれていた。DNAを普遍言語とみなす思想はこの頃までに広まっており、言語学者のロマーン・ヤーコブソンはDNA言語学を推進し、生物物理学者のマンフレート・アイゲンは情報を生命、進化、自然選択の存在論的単位とみなすに至った。

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