2016年11月2日

キュヴィエの台頭 Rudwick, Bursting the Limits of Time, Ch. 7

Martin J. S. Rudwick, Bursting the Limits of Time: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Revolution (Chicago: University of Chicago Press, 2005), pp. 349–415.

7章 以前の世界に住んでいたものたち

7.1 学者界のマッシュルーム(1794–96)
ビュフォンやウィリアム・ハンターらが亡くなったことで化石骨の研究が停滞した1790年代に、キュヴィエは彗星のように現れた。特に、メガテリウムとマンモスについてのキュヴィエの2つの論文は文芸共和国じゅうで大評判となった。キュヴィエはこれらの化石骨の比較解剖学的研究を通して、「部分の相関」と「形質の従属」の法則や、それらが自然的類縁の決定を可能にすること、またこれらの化石骨が現生の種とは異なる絶滅した種であるということを主張した。キュヴィエは、現在の人間の世界と人間以前の世界をはっきり分ける二部構成的な地史モデルを採用した。

7.2 キュヴィエ、キャンペーンを開始する(1797)
すでに二部構成的地史モデルを提唱していた人物としてはドロミューやド・リュックがおり、キュヴィエは彼らからヒントを得ていたようである。1798年にキュヴィエは自然史学会で自身の研究プロジェクトを発表し、比較解剖学によって化石骨からその動物の姿や生活様式や生息環境を推測することができると主張した。だが反対意見も多かった。ラ・メトリは、化石と現生種の違いは、現生種のなかでの違い程度に過ぎないと論じた。フォジャは、化石の種はまだ見つかっていないだけでどこかで繁栄している(生きた化石)と主張した。

7.3 化石骨のナポレオン(1798–1800)
政治的混乱と戦争が続いたこの時代、ドロミューが英国に捕われるなど学術活動に対する影響はあったが、ヨーロッパの国々のあいだでの学者たちの交流は続いていた。キュヴィエは、学士院第一部の事務書記に就任したことでナポレオンを直接接触できる立場となり、影響力を強めた。キュヴィエは自説の証拠を増やすために、国際的なネットワークを形成して化石骨に関する情報の収集を強化した。

7.4 ラマルクの代案(1800–1802)
キュヴィエの議論に対する最大の異論は、年上の同僚であるラマルクによって唱えられた。ラマルクは、全ての生物は時の流れのなかで不可避的に変化するのであって、化石骨と現生種の違いは過去における絶滅の存在を意味しないと論じた。無生物から生物が自然に生まれるというラマルクの議論は、過去のどの時点においてもその時点に固有の特徴はないということを意味するため、地球や生命に関する真の意味での歴史の存在を否定するものであった。この立場はハットンに近い。一方キュヴィエは、ド・リュックやドロミューの考えを拡張し、以前の世界に住んでいた哺乳類は現生種とは明確に異なると主張することで、歴史の存在を示した。二人の真の対立点は、激変を認めるかどうかということよりも、むしろここにある。

7.5 化石の群れを増やす(1802–4)
ラマルクは現生種とは明確に異なる化石骨の証拠を次々と繰り出し、論敵であったフォジャを沈黙させた。以前、ド・リュックやドロミューは、以前の世界と現在の世界を分けた出来事とその年代の特定に注力したが、以前の世界が現在の世界とどのように異なるのかは曖昧なままだった。それとは対照的にキュヴィエは、以前の世界に住んでいた哺乳類たちを生き生きと描き出した。こうして、地球が歴史をもつことがはっきりしたのである。だが、そうした化石の動物相はまだ、地史のなかに統合されてはいなかった。

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