2017年3月23日

「ペイリーが生物の起源に関する問いを提起した」というのは神話

Adam R. Shapiro, “Myth 8: That William Paley Raised Scientific Questions about Biological Origins That Were Eventually Answered by Charles Darwin,” in Newton’s Apple and Other Myths about Science, eds. Ronald L. Numbers and Kostas Kampourakis (Cambridge, MA: Harvard University Press), 67–73.

神話8「ウィリアム・ペイリーは、ゆくゆくはダーウィンが回答することになる、生物学的起源に関する科学的な問いを提起した」

リチャード・ドーキンスと、ID説の支持者であるマイケル・ベーエは、もちろん進化に関して全く反対の意見を持っているが、ダーウィンの『種の起源』(1859)がペイリーの『自然神学』(1802)を否定したということに関しては共通の理解を示している。ペイリーは複雑な構造をもつ生物の器官の起源を説明しようとして、創造主がいるという結論に至ったが、この議論はダーウィンによって異議を唱えられることになったというのである。

しかしこのような理解はいくつかのレベルで間違っている。まず、ペイリーの議論は生物学的な起源に関する科学的な議論ではなく、神学的な議論であった。そして、ダーウィンはペイリーの議論に納得しなかったものの、彼の目標はそれを否定することではなかった。

『自然神学』の冒頭でペイリーは、もしもある人が野原で石を見かけたら、その石はずっとそこにあったと考えるかもしれないという。ここでいう「ずっと」は、永遠にという意味である。ペイリーが『自然神学』を書いた当時、天文学者たちや地質学者たちは、宇宙には始まりもないし終わりもないという考え方を真剣に検討していた。また、この考え方は何世紀にもわたってキリスト教神学の議論の的であった。

ペイリーは次に、時計を見かけた場合に我々がどのように反応するかについて論じる。ここでも、その時計がどのようにして初めに現れたかが問題なのではなく、時計が今まさに目的を持っているということが問題となる。時計と同様に生物の諸器官も、自然法則を利用している(自然法則に適応している)ように見える。こうしたものが世界に適応しているというまさにそのことが、ペイリーにデザイナーの存在を結論づけさせたのである。

ペイリー自身は世界には始まりがあると考えていたが、それを当然の前提にはしたくなかった。そこで、永遠の世界にも適用できるような議論に留めたのである。

ペイリーの目標は、世界を目的で満たしたデザイナーの存在を単に示すということではなく、そのデザイナーがどのような存在であるかという神学的な問いに答えることであった。ペイリーによれば、自然法則はどこにでも同じ仕方で適用されるので、デザイナーは一人でありそのデザイナーは遍在する(すなわち神である)という。また、宇宙には不要な苦痛がなく、喜びの経験はそれ自体が目的となっているように思われるために、神は善なるものであるという。さらに、この世界は我々が研究によって神の証拠を探求できるようにできているので、神はすべての人々に自身を理解してほしいと望んでいるのだという。

自然では説明できないものの存在を示すことで神の存在を証明するという方法もあったが、ペイリーはそうしなかった。それは、そのような証明方法が私的な知識に訴えることを促し、聖書の解釈についての宗教的対立を正当化してしまうことを恐れていたからである。ペイリーは、自然の観察に基づく公的な知識こそが合意への最良の道だと考え、自然を神学の立脚点にしようとした。

ペイリーの考えでは、最良の社会とは、人々がそれぞれに神から与えられた、生まれながらの性向に従う保守的な社会であった。こうした性向は遺伝的であると考えられた。

ペイリーにとって、自然は神が道徳を示したものであった。生物の諸器官や、異なる生物種のあいだの関係性に訴えることで、ペイリーは神の道徳法則に関する主張をした。ペイリーは自然を説明するために神に訴えたのではなく、神を説明するために自然に訴えたのである。

1830年代にはすでに、ペイリーの議論の紹介のされ方は変わっていた。1836年に出版された『自然神学』の注釈版では、地質学的な知見からすると石が永遠に存在するということはもはや考えられないという注釈が付け加えられた。この時代の読者にとって、始まりの存在はすでに前提となっており、始まり以降にどのような変化が起こってきたのかがリアルな問題となっていた。

ダーウィンは、ペイリーの議論を種の起源に関する科学的議論とはみなさなかったし、それを否定しようともしなかった。『種の起源』のなかでペイリーに言及した唯一の箇所において、ダーウィンはペイリーに賛成している。この箇所でダーウィンは、不要な苦痛をもたらすための器官はないというペイリーの議論を参照して、自然選択が生物に対して悪よりもむしろ善をなすということを論じていた。

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