2017年3月4日

「進化=突然変異+自然選択」というのは神話 Depew, “Myth 20”

David J. Depew, “Myth 20: That Neo-Darwinism Defines Evolution as Random Mutation Plus Natural Selection,” in Newton’s Apple and Other Myths about Science, eds. Ronald L. Numbers and Kostas Kampourakis (Cambridge, MA: Harvard University Press), 164–170.

神話20「ネオ・ダーウィニズムは進化を“ランダムな突然変異+自然選択”として定義する」


1940年代以来、専門的な進化研究は「ネオ・ダーウィニズム」(もしくは進化の現代的総合説)と呼ばれる原理によって導かれてきた。この原理は、メンデル遺伝学とダーウィンの自然選択が融合して生じている。それゆえ、ネオ・ダーウィニズムをランダムな遺伝的変異と自然選択として要約するのは自然であるように感じるかもしれない。しかし、これは適切な要約ではないのである。

歴史を振り返ってみるとこのことがよくわかる。ネオ・ダーウィニズムを生んだのは、生殖系列の要素だけが遺伝するということを示した発生学者のヴァイスマン(August Weismann, 1834–1914)であった。ネオ・ダーウィニズムはダーウィンと異なり、自然選択だけで生物の適応を説明する。1900年における「メンデルの再発見」は、このネオ・ダーウィニズムを支持しただろうと思われるかもしれないが、実際にはそうではなかった。ベイトソン、ド・フリース、ヨハンセンといった初期のメンデル主義者たちは、最初から適応的であるような一跳びの不連続的な突然変異を進化の創造力の源とみなした。だが、それに対してネオ・ダーウィニストたちは、そのような一跳びの突然変異は生物の適応性を破壊してしまうと反論した(これは正しい反論であった)。そのため、遺伝学が突然変異と自然選択の統合を支持するのには数十年がかかったのである。

では、進化の創造力はどこから来るのだろうか。実際には、自然選択は他の要因と組み合わさることで革新的な働きをするのである。遺伝子流動、遺伝的浮動、減数分裂における乗換え、そういった要因との組合せが重要となる。進化とは「突然変異+選択」であるといったような単純な図式化は、進化論に反対するID説論者などによってしばしば利用されるのである。


【コメント】

この章は、科学の歴史に関する議論というよりも、進化論批判に反論する目的で書かれた、科学そのものに関する議論という印象が強い。タイトルが現在形になっているのも、その内容を反映しているといえるだろう。

だが、総合説において「進化=突然変異+自然選択」という図式が乗り越えられたというのはたしかである。自分の研究に引きつけて言えば、ジュリアン・ハクスリーは、「総合説」を象徴する著作である『進化――現代的総合』(1942)において、突然変異と選択だけで進化を説明できるという議論を明確に否定し、「突然変異→組換え→選択」という図式で進化を規定している。進化は、突然変異が現れてそれが生存と繁殖に有利であれば集団内に広まる、という単純なプロセスの繰り返しなのではない。たしかに究極的な変異の源は突然変異であるが、それが生じたときからいきなり生存や繁殖に有利であるというようなことはほとんどない。だから重要なのは、生物の集団が常に豊富な変異を保持しているということであり、有性生殖を含むさまざまな遺伝的メカニズムや集団の流動などによって新しい遺伝子の組合せがつくられる動的な状態が保たれているということである。こうした組換えのプロセスによって新しい遺伝子の組合せが大量に試され、そのなかで生存や繁殖において有利となった組合せが、選択によって広まっていく。自然選択の素材は、組換えを通して提供されるのである。このような理解は20世紀半ば以降の進化学で普及していった。

しかし、1930年代の段階では総合説においても組換えの重要性がよく認識されていなかったということが、マイアによって指摘されている。たとえばドブジャンスキーは『遺伝学と種の起源』(1937)において、突然変異と組換えは二者択一である(それゆえ後者を排して前者を採用する)かのような書き方をしていた。

ではハクスリーは、先述のような理解をどこから得ていたのだろうか。「自然選択」の起源はダーウィンやウォレスに、「突然変異」の起源はド・フリースやモーガンに求めることができるであろうが、「組換え」の起源はどこに求められるのだろうか。ハクスリーが組換えの重要性を説いた『進化――現代的総合』の第4章において、理論的なバックボーンとなったのは、「遺伝的システム」という概念を活用した英国の細胞学者ダーリントンの議論であった。さらに歴史を遡れば、ダーリントンが影響を受けた人物の一人に、交雑説を唱えたオランダの植物学者ロッツィがいる。遺伝子の組合せの変化によって豊富な変異が生じるということに早くから気付いていたのは、ロッツィのようなメンデル主義者だったのではないだろうか。

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