2017年2月14日

「激変主義者と斉一主義者の対立」というのは神話 Newell, “Myth 9”

Julie Newell, “Myth 9: That Nineteenth-Century Geologists Were Divided into Opposing Camps of Catastrophists and Uniformitarians,” in Newton’s Apple and Other Myths about Science, eds. Ronald L. Numbers and Kostas Kampourakis (Cambridge, MA: Harvard University Press), 74–79.

神話9「19世紀の地質学者たちは、激変主義者と斉一主義者という対立する二つの陣営に分かれていた」

地質学における論争を説明する方法として、その論争の参加者たちを対立する二つの陣営に分けるやり方が好まれてきた。だがこのような方法ではしばしば、参加者たちの考え方が誤解されたり極度に単純化されたりしている。

18世紀におけるヴェルナー主義者とハットン主義者の対立という説明もその一例である。この説明では、前者はヴェルナー(Abraham Gottlob Werner, 1749–1817)の、岩層は海洋における沈殿物によって形成されたという主張に賛成し、後者はハットン(James Hutton, 1726–1797)の、岩層は地下の火によって形成されたという主張に賛成していたということになっている(水成説論者 Neptunists と火成説論者 Vulcanists)。だが、実際のヴェルナーやハットンの考え方はこのように単純化できるものではないし、ヴェルナー主義者やハットン主義者とみなされてきた人々は、実際には各理論における地層形成の説明よりも実践的有用性に興味をもっていた。

ハットンの中心的概念のうち、三つのものが後の地質学に深い影響を与えた。第一に、地質学的な変化は現在観察できるメカニズム(現在因 actual cause)で説明されなければならないという「現在主義 actualism」、第二に、地質学的説明は現在観察されるのと同じ速度の変化に限られるという「漸進主義 gradualism」、第三に、現在主義と漸進主義に基づいて地質学的記録を説明するのに必要となる膨大な長さの「時間」である。

これらの考え方はすべて、ライエル(Charles Lyell, 1797–1875)の『地質学原理』(1831)において中心的な役割を果たした。ライエルは、過去の地質学的変化はすべて、今日の世界で観察されるのと同じ種類かつ同じ度合のプロセスで説明されると主張した。ライエルはレトリックを駆使して、現在主義と漸進主義を「斉一性 uniformity」という概念に一体化させた。

1832年、『地質学原理』に対する書評でヒューウェル(William Whewell, 1794–1866)は「斉一主義者 uniformitalians」と「激変主義者 catastrophists」という分類を導入した。ここでは激変主義者は、地史のなかで地質学的変化が異なる速度で進んできたことを主張する人たち(=現在主義ではなく漸進主義の反対者)とされていた。現在主義そのものを否定する人はほとんどいなかったのである。一方、ライエルに好意的だったヒューウェルやコニベア(William Daniel Conybeare, 1787–1857)も、ライエルの漸進主義を批判していた。つまり実際のところ、「激変主義者」とみなされてきた人々と、「斉一主義者」とみなされてきた人々は、多くの点において一致した意見をもっていたのである。

斉一主義をライエルや「科学」と同一視し、激変主義を宗教的信仰に基づいた反ライエル的な立場とみなす見方は、ライエルの批判者たちを極度に単純化し、誤解している。実際の対立は、科学と宗教のあいだで起こっていたのではなかった。

【コメント】
付け加えていえば、ハットンやライエルの議論できわめて重要な要素として「定常主義」(=地史には方向性がない!)がある。ライエルの巧妙さは、定常主義(世界観に関する主張)と現在主義(科学的方法論に関する主張)をうまく組み合わせたところにある。筆者のいう漸進主義は、現在主義を地質学的プロセスの種類だけでなく度合にも適用したものであり、「強い現在主義」と捉えることもできる。ライエルの批判者たちは「方向主義(=地史には方向性がある!)」の立場をとっていて、ライエルの定常主義と強い現在主義をどちらも批判していた。
 

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