2014年2月23日

「科学を知る」教育から、「科学とは何かを知る」教育へ Shamos, The Myth of Scientific Literacy, Ch. 3

Morris H. Shamos, The Myth of Scientific Literacy (New Brunswick, NJ: Rutgers University Press, 1995), 45–72.


 科学についての共有リテラシーを達成するための洞察を得るため、この章では科学自体の本質について検討する。というのも科学という営みは、他の知的な営みとは大きく異なっているからである。大衆に科学リテラシーを身につけさせるという試みの失敗は、彼らがたとえ科学に興味をもっていても、難しいとか学んでも報われないとか思ってしまうというところにあった。これは目標が高すぎるのである。科学教育者たちが言うことに反して、学術的な意味で「科学を知る」ということは、社会的な意味で科学リテラシーを得るためにじつは必ずしも必要ではない。しかし、「科学とは何か」を知ることはそのようなリテラシーを得るのに不可欠である。大衆に科学を詳細に理解させることはできないけれども、科学という営みがどのように動くのかを、科学リテラシーの社会的目的に叶うように教えこむことはできるかもしれない。

●単純な定義はない
 科学は人間が生み出した、普通の事柄を見て理解しようとするための特別なやり方であると言える。なぜ「特別」かと言えば、我々の日常的な思考スタイルは、自然現象の原因を理解するのには不適当だからである。科学の主要な概念図式(たとえば原子説)は、直接的に実験で検証できるわけではないが、我々の経験を満足に説明してきたことから、絶対確実ではなくともかなりの程度信頼できる。
 科学は単純に定義できない。宇宙についての有用な知識の集合であり、研究の方法であり、自然の規則の探求であり、第一原理の探求であり、自然現象を理解・説明・予測することを目標とするものである。そして何より、証明できる「真実」の探求である。科学が他の知的な営みと異なる特徴は、客観的な検証ができることである。

●自然は規則的
 科学の実践は、少なくとも巨視的に見れば自然は規則的で予測可能であるという信念、すなわち同じ状況下では同じ現象が観察できるという信念に基づいている。
科学者は科学者共同体を納得させるために、モデルや概念図式を考案する。このとき重要なのは、社会全体による受容ではなくて科学者共同体における受容である。科学を常に一般市民に理解できるようにしておこうとすると、科学の進歩が妨げられてしまう。それゆえ、科学はそれに慣れていない人にとっては理解するのが難しい。

●真実の探求
 科学は真実の探求であるが、ここで言う「真実」の意味には気をつけなければならない。科学の法則や理論は、それが自然の説明に成功している程度にだけ「真実」とみなされるのである。科学では絶対的真実を主張することはできない。検証を重ねることで理論の信頼性は高まっていくが、検証で否定されたときには修正されたり、他の理論に取って代わられたりする。科学は累積的でもあって、ふつう一つの否定的結果でそれまでの理論全体が否定されることはない。

●反証可能性という概念
 有意味な科学的言明は、検証可能であると同時に反証可能でなければならない。反証可能性は擬似科学を特定するときに役立つ基準となる。

●科学は何でないか
 科学は単に事実を集めるプロセスではない。また、科学は知識を得るための絶対確実な手順でもない。問題を立て、観察をし、仮説を立て、仮説に基づいて予測をし、実験をして予測を検証する、といった手順だけで科学はできない。適切な問題が何であるか、仮説を検証する実験はどのようにすればいいか、などといったことを知らなくてはならない。そしてこういったことを定式化はできないのである。

●科学 対 常識
 かつてT・H・ハクスリーは、科学は特別なものの見方ではなく、正確性や検証に気をつけているだけであって根本的には普通の人のものの見方と同じだと述べた。これは当時では部分的にだけ正しく、今ではもっと間違っているといえる。現代科学は日常生活とはかけ離れた、科学に特徴的な推論をする(たとえば量子力学、相対性理論)。科学理論を学ぶ際、常識を足がかりにできないのは一つの障害となっている。常識的説明に慣れていることが、科学的説明への移行に不安を感じさせてしまうこともある。

●自然は規則的に見える
 もし元素が1000億個存在する世界であったら、科学は個々の事実の果てしない集積でしかあり得なかっただろう。規則性と単純性はあらゆる知識にとって必要なものだ。オッカムの剃刀は科学にとって計り知れない価値を持つ指針である。

●自然は不規則的に見える
 自然は微視的に見れば極めてランダムな動きをしている。自然が規則的に見えるのは、巨視的なレベルで見ているからなのである。

●科学の言語
 科学の言語は数学である。数学は自然を正確に記述するだけでなく、新しい知識に我々を導いてくれる。科学のモデルや概念図式が現実世界を描くように考案されるのに対し、数学は現実世界に関係なく論理的構造をつくることができる。科学も数学も、大衆から理解されにくい点では共通している。

●科学的な営みを分類する
 自然界についての知識は、自然史、科学、テクノロジーの3つに分類される。自然史の主要な特徴は、観察・記述・体系的分類である。

●テクノロジーの役割
 科学がテクノロジーの発展をもたらすように、テクノロジーも科学に新しい器具や素材などを与える。生徒たちにとって、テクノロジーは科学よりずっと有意味に見える(テクノロジーには、科学には無いフックがある)。物理科学ではテクノロジーを科学と区別しやすいが、生命科学や医学では区別は難しくなる。また、あらゆるテクノロジーにはリスクとベネフィットが存在し、それらを0か1かではなく評価していかなければならない。

●工学の役割
 工学は複雑なテクノロジーであり、ある意味で科学とテクノロジーのインターフェースにあたる。工学者は科学と技術の双方の訓練を受けて、科学的原理を技術に応用する。

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