2014年4月21日

熱帯農業科学を築いた者たち Prieto, “Islands of Knowledge” 【Isis, Focus:ラテンアメリカ】

Leida Fernandez Prieto, “Islands of Knowledge: Science and Agriculture in the History of Latin America and the Caribbean,” Isis 104 (2013): 788–797.


 熱帯農産物の生産と輸出が活発化していた19世紀から20世紀前半における、ラテンアメリカおよびカリブ海の農業科学についての論考です。筆者によれば、これらの地域における農業科学の歴史は、「帝国主義」や「植民地科学」といった観点から、専ら「中心と周辺」のヒストリオグラフィーで研究されてきました。しかしこのような文脈の研究では、それぞれの土地において知識生産に携わっていた多様な主体(たとえばその土地の農業経営者、奴隷、エリート層、外来の学者など)が果たした役割や、それらの地域間のネットワークにおける様々な交換の重要性が見過ごされてきたと筆者はいいます。
 そこでこの論考では、「商品史」「生物交換の研究」「知識交換の研究」という三つの研究分野が紹介されます。これらの研究を概観すると、それぞれの地域で多様な主体が科学的手順を創造し、採用し、適用していたこと、それらの地域間で重要な交換が様々になされていたこと、そしてこうした過程によって熱帯農業科学が形作られ普及していたことが明らかになります。筆者の比喩によれば、それらの諸地域は「知識の島々」だったのであり、島々のネットワークは「科学知識のグローバル諸島」を構成していたのです。このようにして、科学知識にたくさんの多様な中心的場所があって相互作用していたことを認識することで、われわれは「中心と周辺」のヒエラルキーを解体し、新しいヒストリオグラフィーへと進むことができるのです。
(以上2段落は 4/24 に追記しました。)


【1】
 ラテンアメリカとカリブ海における科学と農業の接続は、帝国の拡大の文脈と、リベラルな国民国家の強固化の文脈で近年研究されてきた。これは、それら地域の輸出農産物(コーヒー、カカオ、ゴム、砂糖など)を、ヨーロッパの拡大と世界システムとしての資本主義の発展の鍵として捉えてきたためである。このような「中心と周辺」のヒストリオグラフィーにおける「植民地科学」や「帝国科学」といった術語を越えていくため、この論考では、「中心と周辺(帝国と植民地)」の境界を越える科学的・農学的知識を生み出し普及させた過程に、ラテンアメリカとカリブ海がどのように参加したかを調査する。
 生産をする全ての地域は、「知識の島」として作用してきた。それぞれの島は、「伝統的」な実践と「近代的」な実践が合流する科学的手順を創造し、採用し、適用してきた。これらの島々のあいだの接続の多様性のおかげで、「科学知識のグローバル諸島」と呼べるものが構成されていた。そして、熱帯地方の特産物の生産と貿易が拡張していた19~20世紀は、これらの接続が拡張・深化した時代であり、新しい科学的・農学的知識の導入と採用が必要とされた時代であった。
 この論考では特に、商品史、生物交換の研究、知識交換の研究という3つの分野を扱う。これらの方法論は、有用な分析枠組みを提供してくれるのである。

【2】商品史
 商品史は熱帯地方の農業生産物を、社会経済的・政治的・文化的プロセスにおける主要因とみなし、商品の生産から販売までに生まれる複雑な社会文化的関係を特権化する。そのために、ラテンアメリカとカリブ海の地域は農学的・工業的な知識の単純な受け取り役ではないという考え方が強調される。特に有用なのは「帝国の商品」という題目のもとに集められた研究で、植民地世界でのローカルなプロセスと、その世界経済の発展への影響を分析している。
 たとえば、19世紀中頃のキューバで、砂糖の生産を近代化するために土地所有者に雇われた工学者や専門家たちのグループが商品史で注目されている。これらの人々の多くは、地元の土地所有者たちの要請によって英国や米国、フランスから渡ってきた人々で、蒸気機関を設置し管理する知識や経験を持ち込んだ。しかし彼らの知識は直線的に普及したわけではなく、それは砂糖生産の管理者や奴隷をはじめとした地元の多様なアクターとの複雑な相互作用による、学習と交渉のプロセスであった。それらの主体がみな、工業的知識に貢献したことで、キューバは世界最大の砂糖生産地となれたのである。
 他にも、アメリカ出身の農学者がキューバで育種技術を導入したり、熱帯作物の疫病研究を実施したりした際に、現地の植物学者や農学者の経験や専門的知識が土台になっていたことは、科学者も知識の伝播をする主体となりえたことを示している。オランダの植民地であったジャワ島の砂糖生産者がキューバで発展した栽培システムを取り入れていたことは、グローバルなレベルで農学的知識の拡散があったことを示している。
 一般的に商品史は、社会的関係を生態学的関係以上に特権化するが、ラテンアメリカで農産物の輸出が増大していた時期の農業システムの同質化は、森林破壊や土壌の疲弊といった結果を招いていた。この問題に対して、ラテンアメリカやカリブ海の当局や地元のエリート層、農家、企業などの人々は新しい科学を必要とし、実験をしたり組織をつくったりしていた。科学者だけではなく、こういった地元の人々も環境変化に対応し科学の適用をしていたのである。

【3】生物交換
 生物交換の研究は、帝国や植民地のあいだで植物や動物、病原菌などがどのように移動したかを強調してきた。特に、生態系の同質化や再構成が微生物の広まりに適した環境条件を生み出した道筋に焦点が当てられてきた。そして農業病害虫の抑制と撲滅の必要性のために、国境を超えてグローバルな農学的知識に到達するローカルな知識が生み出された。より一般的に言えば、カリブ海は「長い19世紀」に「“新”コロンブス交換」を経験していた。
 種々の生態学的環境において農産物の生産システムが増大すると、「商品病」が蔓延るようになる。商品病は、政府や地元のエリート層による自由主義の開発戦略の結果としてラテンアメリカとカリブ海じゅうに現れた(このことを「自由主義の疫病」という)。そして発生した病気はそれ自体、新しい知識の生産と普及を招来した。たとえば、19世紀中頃にキューバとジャマイカのココナッツプランテーションで発生した病気はすぐにカリブ海じゅうで蔓延し、キューバ人、スペイン人、アメリカ人など様々な立場の人々によって研究されることになった。
 温帯から熱帯(あるいはその逆)には広がらない知識があるということも、これらの病気の事例から明らかになる。ヨーロッパで開発された、作物の疫病に対抗するためのモデルは熱帯には適さず、ナチュラリストたちは現地で手段を開発しなければならなかった。その一方で、熱帯に属する地域どうしでは知識を共有することができた。
 また、人間の開発によって地球上の様々な地域のあいだで作物の病気が移っていく一方で、それぞれの地域において病気に対抗するための研究がなされた。このような歴史に焦点を当てることで、地球上に農学的知識を生み出す中心的場所が多く存在したことを明らかにできる。
 生物交換の研究はそのほかに、作物とともに伝達した知識に幅広い層の主体が関与していたことも示している。たとえば、奴隷たちがアフリカの伝統的実践を新世界で実践したことで植物学的知識を伝達したことはその一例である。

【4】知識交換
  農学的知識の生産と普及の研究は、ラテンアメリカやカリブ海をグローバル・ヒストリーの議論の中に位置づけるのに用いることができる。そこで浮かび上がってくるのは、ラテンアメリカやカリブ海の「知識の島々」としての姿である。かつての歴史研究の多くはGeorge Basallaの伝播主義を前提としたものであったが、近年の歴史研究はこのパラダイムを突き崩し始めている。
 20世紀初頭には熱帯の諸地域においてサトウキビの疫病が広まり、その疫病に対して抵抗力の強い改良品種が開発され諸地域に普及した。この事例研究のような、疫病と品種改良に関する歴史研究からは、ジャワ島、バルバドス島、サンタクルーズ諸島などを含む各地域が「知識の島々」として機能したことが理解できる。当時、品種改良等の研究は熱帯の各地域でなされており、得られた知識は世界中に広がるネットワークによって伝達されていた。
 現在までの歴史研究では、土着の伝統的な知識が科学に貢献したことは注目されてきたが、土着でない人々によって生み出された知識は注目されてこなかった。ラテンアメリカやカリブ海において、外から移り住んだ人々が生み出した知識に関する研究の重要性が、まだ十分認知されていない。
 ラテンアメリカの科学史の研究は、権力や政治の問題、農業の組織化の問題などを、「科学と帝国主義」「植民地科学と国家科学」といった観点から研究することに集中してきた。そしてその文脈では、特に米国やロックフェラー財団の果たした役割が注目されてきた。今後の研究では、もっと他の様々な主体による組織化が注目されなければならない。ラテンアメリカとカリブ海の農業科学の歴史は、単なる植民地主義と帝国主義の歴史ではないのである。

【5】
 農学的な実践はすぐに広まり各地で採用されていくため、その実践の起源がどこにあったのかをよくわからなくさせてしまう。しかし我々は、知識には複数の多様な中心的場所が存在して相互作用していたことを認識し、「中心と周辺」のヒエラルキーを解体することができる。

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