2014年4月8日

科学リテラシーの再定義 Shamos, The Myth of Scientific Literacy, Epilogue

Morris H. Shamos, The Myth of Scientific Literacy (New Brunswick, NJ: Rutgers University Press, 1995), 229–238.


 この本の主目的は、一般的な考えでの科学リテラシーは一般教育の目標として実現できないということ、そして科学教育を大部分の生徒にとって意義あるものにするにはこの目標が再定義されなければならないということを示すことであった。従来の科学リテラシーは科学知識の獲得に焦点を当ててきたが、以下のような本当に必要とされている事柄に焦点が当て直されるべきである。
(a) 科学やテクノロジーの事業がどのように働くかについての意識をもつこと。
(b) 大衆に、科学とは何であるかについて知ってもらい満足してもらうこと。
(c) 大衆に、科学から何が予期されうるのか理解してもらうこと。
(d) 科学やテクノロジーの事業に関して、どうしたら大衆の意見によく耳が傾けられるか知ること。
 また、テクノロジーは一般教育において、科学の派生物としてではなく、科学教育の出発点として捉えられるべきである。

 従来、楽観的な教育者たちは科学教育が目標を達成できていないことを認めつつも、カリキュラムを改善することでその目標は達成できるとみなしてきた。しかしカリキュラムの改革だけでは解決にならない。一般教育の目標それ自体と、その目標を達成するための方法の両方を変えることが必要になっている。

 そのために連邦政府にできることはなんだろうか? それは教育調査であり、学校に対する資金援助であり、教育の実験プログラムを認めることである。


 教育を改善する一つの方法は公立学校の私立化だろう。アメリカの私立学校は全体の人数の1~2割程度であるものの、公立学校より少ない資金で高いレベルの教育をしている。私立学校は、公立学校で存在する問題に直面していないことで有利になっている面もあるが、機会を与えられさえすれば公立学校よりうまくやるように思える。私立化には課題はあるが、いずれも克服できない課題とはいえないだろう。

 ところで、他の先進工業国と同様に、アメリカの科学は男性中心で進んできた。この状況は近年では多少改善されてきており、学士号取得者に占める女性の割合は、生命科学で約半分(15年前は30%だった)、数学で46%、化学やコンピュータ科学で37%となっている。一方、物理学や工学では15%に留まっている。女性が物理学や工学の進路を避ける傾向があるのは、数学的な事柄を扱うことに対して気が進まないからというよりも、自己像や、それらの分野に進むことで得られるキャリアについての受容の問題であろう。


 アメリカで科学が一般教育に取り込まれて以来、「大衆のための科学」という高尚なテーマを主張することが繰り返され、それは今では「科学リテラシー」を求める声となっている。また、スペンサー、ハクスリー、ポアンカレ、デューイ、Bronowski、スノーといった人々は、誰もが科学に熟達すべきなのだと主張してきた。しかし歴史は、そのような目標の達成が不可能であることを示しており、我々はこの歴史から学ばなければならない。我々は「科学はなぜ全ての生徒に要求されるべきなのか」と「その科学とは何から成り立っているのか」を真剣に問わなければならないのである。

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