2015年2月15日

機械的客観性の出現と写真 Daston & Galison, Objectivity, ch.3, pp. 115–138.

Lorraine Daston and Peter Galison, Objectivity (New York: Zone Books, 2007), 115–138.

「ナチュラルヒストリーの歴史研究会」で読み進めているObjectivityです。
 今回は第3章「機械的客観性」の第1節と第2節になります。


1.クリアに見る

 1906年、ゴルジ(Camillo Golgi, 1843–1926)とカハール(Santiago Ramón y Cajal, 1852–1934)という二人の組織学者が神経系の構造研究によってノーベル医学生理学賞を受賞した。だが、二人の受賞記念講演はまさしく正反対の内容であった。というのも、彼らは中枢神経系の構造に関してまったく相容れない意見を持っていたのである。ゴルジは、神経細胞(ニューロン)はすべて網目状に結合しており、一体となっているのだと説いた(網状説)。それに対してカハールは、神経細胞の接合部分には隙間があり、それぞれの神経細胞は独立していると主張した(ニューロン説)。現在ではニューロン説の正しさが認められているが、当時ゴルジは数十年間にわたって考えを曲げず、カハールと激しい論争を続けていたのである。
 この論争は、端的に言えば画像をめぐる対立だったといえるだろう。二人はゴルジが開発した同じ染色手法を用いていたが、ゴルジが描いたスケッチに対してカハールは激しく異議を唱えた。カハールに言わせれば、それは現実と異なっており、改ざんされているのである。ゴルジは実際、スケッチを「自然に即して」ただし「自然より単純化して」描いたのだと述べている。一方でカハールは、その研究人生において「クリアに見る」ことを追い求めてきていた。それは、カハールが絶対に必要だとみなしていた認識的徳であった。この対立は、19世紀後半に客観性の問題をめぐって争った二つの理念である、「写実(truth-to-nature)」と「機械的客観性」の対立なのである。
 本章は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、視覚的に基礎づけられた「機械的客観性」が生み出された過程を論じる。「機械的客観性」とは、著者の意図的な干渉を抑え込み、代わりに厳格な手順によって自然をページに写し取ろうとする、断固たる駆動(drive)のことである。いわば、「自然がよく聞こえるように、観察者は静かにする」のである。
このような客観性の獲得は、「自己(self)」の変革と結びついていた。科学者は、自分の予測や、美学や、体系化への欲望が紛れ込まないように、対象に干渉しないように、自己を律しなければならない。禁欲的で、自制的な科学的自己が要求されたのである。それゆえ、勤勉でありながら誘惑に負けることがない機械は科学者たちに信頼された。また、科学者の仕事を手伝う画家たちは、自然をありのままに写せているかどうかについて、科学者と相互監視する関係になった。
 「機械的客観性」は歴史上、19世紀中頃にだけ出現したといえる。この客観性は、はじめは少しずつ現れたが、次第に強くなっていった。アトラスには1840年代頃に現れ始め、1880年代と90年代にはいたるとこで見受けられるようになった。


2.科学としての写真、芸術としての写真

 19世紀における客観性の出現は、単に写真の発明によるものとして説明できるものではない。実際、すべての客観的な画像が写真というわけではなかったし、逆にすべての写真が客観的とみなされたわけでもなかった。
 写真は1820年代から30年代にかけて、ダゲール(Louis Jacques Mandé Daguerre, 1787–1851)やタルボット(William Henry Fox Talbot, 1800–1877)の発明によって生まれた。当初、写真は描画やエッチングの代替手段として認識されたため、その強力さは細部を克明に描きながらも人間の仕事を大幅に減らす点にあるのだと理解された。しかしすぐに、写真を科学的媒体として捉える別の議論が登場した。それは、写真は自然が自発的に描くものであって、人間の解釈から自由であり、それゆえ客観的な画像であるという議論であった。たとえば、医学者のドネ(Alfred François Donné, 1801–1878)は、彼が顕微鏡を見て描いたと主張していた絵が「錯覚」に過ぎないのではないかという批判を退けるために、アトラスに写真を掲載した。
 一方、一部の芸術家たちはこうした「機械的客観性」を批判し、写真を芸術とみなすことに反対した。写真は外部の現実を写し取っているだけで、独創性がなく、芸術の名に値しないというのである。それに対して写真を芸術として擁護する人は、写真にもそれを撮る人のスタイルや感情が表れるのだと主張した。いずれにしても、これらの議論では芸術としての価値基準は作り手の個性が表れているかどうかという点に置かれていた。そして科学の領域においては、その同じ価値基準が反転した形で用いられるようになっていった。ここに、客観的なものである科学と、主観的なものである芸術という、新しい対立の構図が現れたのである。
 もっとも、写真史家によれば、当時写真を撮るためには相当の技術や判断が必要だったのであり、自然が自ら自身を写し取るなどということはまったくなかった。また、当時の人々もみな、手順次第で写真を偽造したり修正したりすることができるのだということに気付いていた。しかしこういったことは、写真が客観的で機械的なものとして理解されたという議論には影響しない。なぜなら、当時の科学者たちが問題としていたのは、あくまで彼ら自身の先入観や理論が画像に投影されてしまわないかどうかという点だったからである。
 「機械的」という言葉は、二つの異なる意味が合体していることに気をつけなければならない。一つは作者の介入がないということであり、もう一つは画像を自動的に大量複製できるということである(後者は版画も当てはまる)。しかし、後者の意味で写真が「機械的」になるのは1880年代のことであった。前者の意味では、あくまでも芸術家としての介入がないのであって、写真家としては多くの手順をこなさなければならなかったことに注意すべきだろう。
 18世紀のアトラスの作り手たちは、自然史家の判断の言いなりになるような画家を求めてきた。しかしいまや、科学者たちは自分を表に出さないようにする意志と、自分の意志を迂回するような手順と機械とによって、何らの知性も画像をかき乱していないことを保証するようになったのである。

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