2015年2月27日

「品種」と植物科学 Smocovitis, “Mongrels and Hybrids”

Vassiliki Betty Smocovitis, “Mongrels and Hybrids: The Problem of Race in the Botanical World,” in Paul Farber and Hamilton Cravens, eds., Race and Science: Scientific Challenges to Racism in Modern America (Corvallis: Oregon State University Press, 2009): 81–91.

 ダーウィンが1859年に発表した有名な著作のタイトルは『自然選択、すなわち生存闘争において有利な品種(race)が保存されることによる種の起源について』であった。だがダーウィンは、この本のなかで植物に対して「品種」という言葉を用いることはなく、動物に対して僅かに用いただけだった。ダーウィンは、種や亜種や個体差といったカテゴリーのあいだにはっきりした区別はないと考えていたし、種の概念について厳密に定義することを避けていた。特に、植物の進化は種の定義の問題を難しくしているとダーウィンは述べていた。たとえば、ダーウィンは雑種形成(hybridization)が彼の考える枝分かれ的進化の描像に反することをよく認識していた。ダーウィンは、異なる種のあいだに生まれた雑種をhybrid、異なる変種のあいだに生まれた雑種をmongrelと呼び分けていたが、雑種形成の問題について解決を与えることはできなかった。
 世紀の変わり目には、植物学者たちは真剣に雑種形成によって種の起源を説明しようとしていた。ロッツィは今では周縁的な学者だったと考えられているが、彼に限らず、当時は多くの“植物派”の人々(植物を研究対象ではなく研究手段としている人々も含む)が、厳密な意味でのダーウィン的進化理解を拒み、他の理論、たとえばド・フリース的突然変異説やネオ・ラマルキズムで種の起源を説明しようとしていた。
 植物進化を取り組みにくいものとしていたのは何だったのだろうか? 現在の生物学における理解では、植物と動物には少なくとも6つの大きな違いがあると考えられる。植物は動物に比べて、①発達上単純で、②無差別的に交雑し、③無限成長をし、④表現型可塑性が高く、⑤倍数性が珍しくなく、⑥自家受精ができる。これらの「生物学的」理由により、植物進化の基礎を理解するのは難しかった。しかし一方で、植物は生物学者にとって理想的なモデル生物でもあった。植物に頼った研究が増えるにつれ、鳥類や哺乳類といった生物と比較しての植物の特異性もますます明らかになっていった。
 それゆえ、植物の変異と進化についての一般理論はステビンズ(1950)を待つこととなった。ステビンズは、基本的にはドブジャンスキーの仕事を忠実に追っていた。ドブジャンスキーはダーウィンが避けた種の定義の問題に正面から取り組み、「品種」も有意味なカテゴリーとして積極的に用いていた。しかしステビンズは、「品種」という概念を正式に用いることはなかった。ステビンズと同様、多くの植物学者は「品種」というカテゴリーにあまり意味を見出だしていなかった。ドブジャンスキーも、植物における品種の問題は避けていた。
 「品種」の概念がある程度用いられたのは種生態学(genecology)の分野であった。ここで「品種」は、気候や地理、土壌と相関したグループを指す大まかな言葉として用いられた。1930年代中頃には、カーネギーチームによって再びゆるく用いられた。彼らは、「種」などの言葉による単純で厳密なカテゴリー化を拒否していた(J・クラウセンによるマイアへの手紙)。クラウセンとマイアのやり取りは、20世紀中頃の植物学者と動物学者の違いをよく表している。しかしこういった違いは、首尾一貫した進化観を求める動きのなかで誤魔化されていたのである。
 他に「品種」の概念が用いられた分野は、トウモロコシや大豆などの作物の研究である。こういった作物は、人間による栽培化と切っても切り離せない進化の歴史を持つ。そこで、その歴史の解明には細胞遺伝学と人類学(民族誌)を含む研究が必要となった。この研究を行ったアンダーソンとHugh Cutlerは、Carleton Coonによる「品種」の曖昧な定義を採用した。しかしCoonの定義は1960年代には悪名高いものとなっており、ドブジャンスキーも批判している。
 いずれにせよ「品種」の概念は、植物科学の領野ではあまり重要性を持たなかったといえる。植物界における変異の豊富さにも関わらず、植物進化生物学者たちは「品種」のカテゴリーに頼らず、代わりに「変種」「亜種」「栽培品種(cultivar)」「血統(line)」などの語を用いたのである。しかしそれらでさえ、あくまで暫定的なものとして用いられたに過ぎなかった。また、「品種」の語が用いられるときは、人間の歴史に関係している状況の場合が多かった。

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