2015年2月19日

植物科学の実践の変化 Digrius, “Botany: 1880s–1920s”

Dawn Mooney Digrius, “Botany: 1880s–1920s,” in The Cambridge Encyclopedia of Darwin and Evolutionary Thought, ed. Michael Ruse (Cambridge: Cambridge University Press, 2013), 264–272.

 『種の起源』の出版以降、植物科学は大きな変革の時代を迎えることになった。だがそれは進化の理論を受け入れるということに留まらなかった。ダーウィンとザックスの論争に象徴されるように、技能、訓練、実験、専門化に重点が置かれ、顕微鏡が活躍する「新しい」植物学の時代が来たのである。たとえば古植物学はウィリアムソン(William Crawford Williamson, 1816–1895)の主導のもと、外的形質ではなく内的構造に基づいて化石植物を特定・分類するようになった。ロシアでは、ティミリヤーゼフ(Kliment Arkeedevich Timiriazev, 1843–1920)がダーウィンの自然選択説を広めると同時に、植物学の実験化・専門化を進めた。1900年から1929年のあいだには、遺伝の細胞学的研究が植物科学のなかに確立されていった。倍数性や雑種形成が植物の進化のなかで大きな役割を果たしていることが明らかになったとき、細胞学的研究と体系学の結合が植物の種分化研究を変え始めたのである。
 だが1900年から1920年までの頃、育種家や植物研究者たちのあいだで、種とは何かという問題や自然選択説の正否について、決定的な見解は存在しなかった。ド・フリースの突然変異説についても、育種家たちの評判は良くなかった。フィッシャーの集団遺伝学が現れてはじめて、定量的な手法を用いる広範囲の研究が可能になった。そしてバブコックやステビンズ、アンダーソン、トゥリルといった、実験的、遺伝学的、生態学的あるいは細胞学的手法をとる植物学者たちによって、植物科学は総合に持ち込まれるに至った。その背景には、1880年代から1920年代のあいだにおける植物科学の実践の変化があったといえるだろう。

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