2020年1月5日

Bowler, The Mendelian Revolution, Ch. 2

Peter J. Bowler, The Mendelian Revolution: The Emergence of Hereditarian Concepts in Modern Science and Society (London: Athlone Press, 1989), Ch. 2.

第2章「ダーウィン以前の遺伝」


 子が親に似ることは古代からの関心事であったが、メンデル以前には遺伝を独立した研究分野とみなした人物はほとんどいなかった。ナチュラリストたちにとっては、新しい生物がどのようにして形成されるのかという問題こそが決定的に重要であり、遺伝の問題はその枠組みのなかで扱われたからである。

 この問題について、唯物論者たちはデカルトの機械論を土台として後成説を唱えたが、17世紀後半の顕微鏡研究はこれに否定的であった。しかも、後成説およびそれと関わりの深い自然発生説は、神の存在や自然の安定性を脅かす主張であった。それゆえ無神論者には支持されたが、機械論者でも保守派には危険視され、前成説(先在胚種説)が18世紀を通して優勢を保った。ボネは、個体のミニチュアである胚種が最初から入れ籠状になっているという前成説の理論を展開した。このとき、胚種は種を規定するのみであり、個体の形質は精液や子宮から吸収する栄養によって親から影響を受けるとされた。このように、前成論者でも個体の特性は遺伝すると考えるのが普通であった。一方、ニュートン主義者のモーペルテュイは、親の身体の各部分から来た粒子が集まって胚をつくるのだという理論を唱えて前成説に反対したが、その粒子が胚のなかの本来あるべき場所に向かう理由を説明するために、粒子に意思のようなものを認めざるを得なくなってしまった。似た理論を唱えたビュフォンは、これを避けるべく内的鋳型の概念を導入した。獲得形質の遺伝は、ラマルクによって導入されたわけではなく、発生に関する18世紀の典型的な議論であった。

 19世紀に入って、発生学の研究から二つの発展主義的な見解が現れた。まず、メッケルが1821年に、ヒトの胚は発生過程で動物のヒエラルキーを上昇するという並行法則を論じた。この議論は、地球史のなかで魚類、爬虫類、哺乳類というような出現の順序があるという古生物学の知見と結び付けられた。一方、フォン・ベーアは並行法則を否定して、成長は一般的構造から特殊な構造へと向かう特殊化の過程であると論じた。これらのアイデアが、ダーウィンの進化論が解釈される概念的フレームワークを形作った。多くのナチュラリストは前者の並行法則のほうを好んだ。反復説と獲得形質の遺伝は、どちらも記憶に類比される理論であり、互いに結び付けられて理解された。

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