2013年3月21日

ゴオー『地質学の歴史』 第1章~第3章

地質学の歴史地質学の歴史
ガブリエル ゴオー Gabriel Gohau

みすず書房 1997-06
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ガブリエル・ゴオー『地質学の歴史』菅谷暁訳、みすず書房、1997年、15-70ページ。

1 発端
古代人の地質学は日常的観察に依拠していた。古代人は紀元前から化石に気付いており、海から遠く離れた場所で発見された貝殻の存在が問題となっていた。これについてエラトステネスは、地中海の海面がジブラルタル海峡の開通によって低下したのだと考え、ストラボンは、地震や噴火や海底の隆起による海面上昇や、陥没や地滑りによる海面低下が原因だと唱えた。
アリストテレスや逍遥学派は世界を永遠だと考えていたが、一方でストア学派は世界の再生を信じていた。この対立には、19世紀初めの激変論者と斉一論者の論争に通じるものがある。プラトンの穏やかな激変説は、地震や洪水によって地上が滅ぼされると説いていたが、これは主要な関心が道徳にある議論である。

2 世界の中心にて
紀元後、教会はアリストテレスの永遠の世界の説を拒絶し、プラトン主義と折り合いをつけた。教会は、人々の注意を異教徒の知である科学から逸らそうとしていた。アリストテレスの思想がキリスト教世界に徐々に浸透した13世紀も、それは宗教的伝統に反したものであった。
中世では占星術が浸透しており、月下界の現象を月上界の天体が支配していると考えられていた。当時知られていた最も大きな周期は、天球上で恒星がゆっくり回転する3万6000年(現代でいう地球の歳差運動)であり、これが地球の歴史が循環する期間とされていた(古代人の循環的思想の影響)。このことは地球の歴史を考える上での大きな制約となっていた。
地球の歴史の循環について、10世紀のアラブ世界では水成説的な考え方と、火成説的な考え方が対立していた。14世紀のビュリダンは、地球の歴史を3万6000年から数億年以上に延長し、陸は侵食されるにつれ軽くなって隆起し、海底は堆積物が貯まると沈降すると考えることで循環を説明した。ビュリダンの影響はレオナルド・ダ・ヴィンチにも見て取れる。

3 地球はいかにして形成されたか

コペルニクス、ガリレオ、デカルトらによって、地球は世界の中心という立場を追われた。このことで地球は特権的地位を失うと同時に、地獄の存在する卑しい物体という身分も放棄した。デカルトの地球モデルでは、地球は恒星と同じ性質の中心火を持っており、地球の起伏は地殻の陥没によって形成される。

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