2013年3月23日

ゴオー『地質学の歴史』 第10章~第12章

地質学の歴史地質学の歴史
ガブリエル ゴオー Gabriel Gohau

みすず書房 1997-06
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ガブリエル・ゴオー『地質学の歴史』菅谷暁訳、みすず書房、1997年、182-241ページ。

10 化石とともに
18世紀末にジャン=アンドレ・ドリュックは、地層をそこに含まれている動物相によって区別できることを示し、化石の層序学的役割を発見した。ドリュックはまた、これを説明するために生物変移説を唱えた。1810年、フランスのアレクサンドル・ブロンニャールは海成層と淡水成層の互層を発見し、一回きりの海の退却を唱えてきた人々に衝撃を与えた。キュヴィエはこれを手がかりに、複数の急激な環境変化が特定の動物相を消滅させてきたことを『地表革命論』などで主張した。新しい動物相の登場について、キュヴィエの説明は慎重であったが、後継者たちは反復的創造を想定した。また、キュヴィエとブロンニャールが1808年に最初に発表した『パリ周辺の鉱物学的地理試論』は、各地層は含まれる化石によって異なることを示唆した。1832年にキュヴィエが死ぬ頃には、生層序学は岩相層序学に取って代わりつつあった。イギリスの土木技師ウィリアム・スミスは1816年、『生物化石によって同定された地層』を発表し、地質年代を区分した。

11 過去の世界と現在の世界
ライエルの『地質学の原理』は1830年から1834年にかけて出版された。ライエルの斉一説は、地球の歴史に関する連続主義の面と、定向主義あるいは進化主義に対立する定常主義(世界の外観は安定的であった)の面を持っていたといえる。ドリュックは「現在原因」という言葉を作り出し、現在主義を批判した。ライエルを後に「近代地質学の父」とすることになる理論は、実はこの頃には常識的な古いやり方だとみなされていた。ライエルが唱えた漸進的な動物相交代は化石に低い価値を与えるものだったのにも関わらず、ライエルは層序学に注目していたと言えるだろう。一方、激変論者の説は化石に高い価値を与えるものであり、彼らは生層序学の創始者となる。

12 世界を築く激変
水成説では歴史の歩みは退行的であり、地球には未来が失われているのに対し、激変説は徐々に地球が築かれていくモデルだと言える。継起的隆起の効果は、1820年代までのレオポルト・フォン・ブーフの火山研究で最初に示された。鉱山技師のエリ・ド・ボーモンは、山の継起的隆起が海中の生命を混乱させたと考えることで「革命」を説明した。また、ド・ボーモンは隆起の原動力を地球の永年的冷却だと考えた。実際、1827年にルイ・コルディエが地下温度測定結果から、深部ほど温度が高くなる勾配があることを示し、この勾配はフーリエの地球の緩慢な冷却の計算結果に対応していた。ここで水成説は完全に敗れたと言える。ただし、ド・ボーモンの説は「五角形の網目」論という誤りも抱えていた。
一方、1820年代以降、石炭系、白亜系、ジュラ系、三畳系などの岩層が次々に命名され、さらにアルシッド・デサリーヌ・ドルビニーによって階に分けられ、生層序学が急速に発展していた。ただし、ドルビニーは反復的創造を支持したことで多く非難された。1830年代、生物の形態と特定の生活環境とが対応していることが理解されはじめ、示準化石と示相化石が区別されるようになった。遠洋の動物相についても、遠洋探検が知識を与えるようになった。19世紀中頃には、地質学の概説書や手引書も多く書かれていた。

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