2013年3月22日

ゴオー『地質学の歴史』 第4章~第6章

地質学の歴史地質学の歴史
ガブリエル ゴオー Gabriel Gohau

みすず書房 1997-06
売り上げランキング : 676364

Amazonで詳しく見る by G-Tools
ガブリエル・ゴオー『地質学の歴史』菅谷暁訳、みすず書房、1997年、71-125ページ。

4 神の作品
16世紀の末からは、人間の起源へ遡ろうとする試みが盛んになっていました。聖書の記述に基づいて推定される世界の年齢はせいぜい4,5千年でしたが、それは世界が急速に年老いたからだと考えられました。14~16世紀に相次いだ悲惨な出来事は、加速的な老いの証拠であり、人々に世界の終わりは近いと感じさせていました。
17世紀には山を、醜悪で人間の障害となるものだと捉え、それゆえ神の怒りによる大洪水に由来するものだと考える議論がありました。一方で、人間にとっての山の有用性や必要性を説く議論もあり、18世紀にはこちらが主流になります。山が人間のために必要なものなら、山は大洪水の産物であるはずがなく、創造の際に造られたのだということになります。

5 科学の誕生
17世紀のニコラウス・ステノは化石が生物起源であることを断定し、地層累重の原理や、傾斜した地層もかつては水平線に平行であったという原理を唱えました。ステノは聖書的な世界の年齢にとらわれていた点に限界がありましたが、化石を堆積相の決定(海成or陸成)に使えることに気付き、「遺物」に基づいて地球の歴史を明らかにできるという道を開きました。ロバート・フックやライプニッツも、化石を失われた生物種のものだと考えました。

6 山はいかにして誕生したか

カイロ駐在のフランス領事であったブノワ・ド・マイエは、短年代の説を捨てた上で、海水準は低下し続けるという説を『テリアミド』という著作で述べていました。このような説によれば、最古の堆積物は最も高い山の上にあることになります。18世紀後半にはモンブランが登頂されるなど、アルプス山脈やピレネー山脈が科学的関心にも基づき調査されていました。リンネは友人のセルシウスの理論を採用し、世界の幼年時代には1つの島以外は水没しており、1つの種につき1カップルまたは1個体が島に収容されていたとしました。一方、イタリアの神父ラッザロ・モーロは、海水準の低下がそのように大きかったはずはなく、それ以上の高さの山で化石や地層が見られるものは火山活動によって隆起したのだと唱えましたが、18世紀には水成説の方が優位な立場にありました。

0 件のコメント:

コメントを投稿