2013年3月24日

ゴオー『地質学の歴史』 第13章~第16章(完結)

地質学の歴史地質学の歴史
ガブリエル ゴオー Gabriel Gohau

みすず書房 1997-06
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ガブリエル・ゴオー『地質学の歴史』菅谷暁訳、みすず書房、1997年、242-320ページ。

13 原初の時代
1830年代から40年代には、石炭紀より古い岩層の研究が熱心になされ、イギリスのアダム・セジウィックロドリック・マーチソンらが重要な業績をあげた。先カンブリア時代の岩層を調査して生命の痕跡の有無を確かめる研究もされるようになり、最終的に1894年にそれが発見された。
19世紀には地球の年齢も一つの争点であったが、学者たちはすでに数十万年や数億年、あるいは数兆年といった長い期間を話題にするようになっていた。19世紀末にケルヴィン卿が熱の研究から2億年以内という数字を導いたことは地質学者にも衝撃を与えたが、アンリ・ベクレルキュリー夫妻によって放射能の研究がなされたことで1909年に決着がついた。1917年以降は、放射性崩壊を用いた年代測定が可能になった。

14 地殻の破砕
エドゥアルト・ジュースは、1909年まで26年間をかけて完成させた大著『地球の相貌』で、現在主義と激変説の総合に努めた。ジュースはド・ボーモンと同様に地球の冷却による収縮を信じていたが、ヨーロッパの形成の説明でド・ボーモンの「山系」説を塗り替える業績をあげた。フランスで19世紀末に活躍したマルセル・ベルトランはジュースの視点を引き継ぎ、ヨーロッパの形成を複数の山脈が連続的に並置された過程として論じ、ヘルシニア山脈などを命名した。一方この頃、偏光顕微鏡や化学分析の手法が浸透し、岩石の研究も発展していた。

15 漂移する大陸
1912年、アルフレート・ヴェーゲナーは海岸線の一致や動物相、化石の植物相や構造地質学などの根拠に基づいて大陸漂移の説を発表した。これに反対する人々の一部は、動物相や植物相の類似を説明するためにジュースの理論に基づいて、かつて存在したいくつかの陸橋が陥没したのだと主張した。しかしこの頃には、造山における平行運動の大きさが認識されたことや、放射能の発見で永年冷却説が崩壊したことによって、陸橋陥没説の土台となる地球収縮説自体が追い込まれていた。また、19世紀後半に発展したアイソスタシーの理論(山の質量を補償する「根」の存在)は、陸橋が陥没するような事態は起こらないことを示唆した。ヴェーゲナーは、海洋底や大陸の下部を構成する物質の上を、大陸塊が筏のように移動することを想像していた。しかしその移動の原動力については説明できず、また滑動に必要な流動性も地震波の観測から否定されたため、多くの地質学者は懐疑的であった。

16 海の誕生
1950年代には磁性鉱物を含む溶岩の研究が行われ、地磁気が時代によって逆転してきた歴史が明らかになり、1950年代末には、海嶺の中央から広がる磁気の縞模様が発見された。1962年にアメリカのハリー・ヘスによって海洋底拡大説が発表され、1960年代後半にこれらの研究を総合してプレートの運動を説明する論文が複数現れた。こうしてヴェーゲナーの業績は再評価されるようになったのである。

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